032908.jpg水辺(海であるのか湖であるのか定かではないが、湖であったら一層おそろしいと思った)で立ち止まり、子どもたちが泳ぐ姿にカメラを向けていた。ひとりの小さな男の子が溺れるのを私だけが見つけ、発作的に飛び込み真っすぐに沈んでいく子どもに向けて深く潜った。この瞬間自分の選んだ行為は最早、諦めることはできないのだと直覚して、そうかこうして二重遭難する不幸の本質的な意味を身体で理解していた。
周囲が暗くなるほど、これまで記憶のあるいずれよりも深く潜って足首を掴んで浮上し、蘇生を試みるが目を開いたままの子どもは首が折れて応答がない。私の回りには人が集まってきていたが、誰も声をたてず、静まりが広がっていた。まだ諦めないと決めて、何度も蘇生を繰り返すと、男の子の身体が反り返り、口元から水が溢れ出した。
こうして、辿り着く帰結として、実は私が救出に失敗し既に溺れた彼岸での、儚い意識の塊の中で懺悔の蘇生を試みていたという疑いが生まれ、同時に、この物語の顛末よりも、人は死の間際の、最後の最後において、意識が汲み取られる装置を、自己生成することは可能なのかもしれないと、霊の存在まで紆余曲折し、これまでの人々の数々の意識停止間際で顕われた様々が一挙に溢れてこちらの認識へ流れ込みそうになったところで、はっきりと目が覚めた。

隣の次女の布団をかけ直して、洗面に立ち小便をして、トイレに置いてある写真雑誌を捲り、写真がその自己生成の装置のひとつであったことに気づき、ヴィム・ベンダースの、天使が死の間際の男に語りかえたフレーズが重なって憶い出された。
人の死が残された人間にもたらす事と、私の死というこちら側の停止の、境界を生きる年齢となったのだと、この季節の自身へ及ぼした事柄を辿り、再び気温の下がった外へ歩き出すのだった。


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PAN’S LABYRINTH / Guillermo Del Toro(1964~)
娘たちに。
子どもたちの感想は「グロい」とのこと。大人になってもう一度観てほしい。こちらとしては、時代背景(1944年スペイン)の哀しさに重ねたファンタジーが、現代にとっての戒めのように響く作品であると評価できた。

月曜日はアクアウイングが休館だったので、午前中数学のお勉強につき合ってから宮友家具店にダイニングテーブルセットの支払いに行ったついでにXEBIOに回り、次女のセカンドバッグと、私のベルトをゲット。帰り道にホームセンターでベット脇に置く読書用のスタンドを現品特化¥1000で見つけ購入。父親と私の安価なネクタイ、靴下を選び、次女は漢字ノートなど文具。平安堂にて、福島鉄平のサムライうさぎ3、4巻をあった〜とみつけ(1.2巻売り切れ)、MONSTER / 浦沢直樹 完全版 1.2巻 購入。少し遅いランチをふたりで幸楽苑にて摂る。