DLPFCの制御が破綻すると扁桃体が暴走するという壊れを電磁波や電極の埋め込みで血流の低下した前頭葉を活性させる治療というよりも工事のような処方で機能修復する録画番組を眺め、先天的とか気質とかいう所謂本来的なココロの問題ではないという見地の検証とその行方に関する展開は、今頃になってようやくという感触が拭えない。而もこの国ではまだこの手法が行われていない。(神奈川の芹香病院では行われている)
ICD-10、DSM-IVのフォーマット通りの問診と判断で病とするのは良いとしても、投薬の他の可能性を探ってこなかったのは、ごく最近までそういった罹患者を社会では存在しないように構造構築してきた歴史にも因はある。大学の近くには座敷牢ならぬ里山に異端の者を封じた私宅監置の形骸があった。社会不適応者とされた者は肉親や一族からも排他的に扱われ村社会を存続させるために時にはスケープゴートとなった。精神疾患の父親の亡くなった原因が実はそういった排他的処理だったのではないかと疑うというよりルサンチマンを自らに育てた友人もいる。
ある現れや人間的な所行を正常ではないとする時、では一体何が正常なのかということを実は精査しない怠慢の気質がこの国の社会にはあって、時代の状況に応じてそうした現状スタンスを怪しみ微細な修復を絶えず行う全く新しいシステムを構築する意気地が形にならなければ、こうしたあまりにお粗末な場当たり的な遅延対処ばかりが目につくことになる。
自身も含めて精神的にも肉体的にも環境的にも壊れた人間がその破綻状態を過去のように秘匿するのではなくカミングアウトする倫理の時代となってきているのだから、正常が前提の社会を構築するという短絡自体が破綻していると気づくべきだが、世代格差の問題もありなかなかこれは簡単ではないようだ。