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花とアリス_完結編

後ろの卓袱台で長女が、花とアリス完結編を観ている。すっかり忘れてた。あっさりと「ああ終わった」と娘がつぶやいた。落語という部活の設定が実に気持ちがいい。尻をだす先輩の「〜つて」には笑った。長女は三部作全てのDVDがほしいと言い出したので、午後にでも探しに行くことになる。セリフのほとんどない寡黙なボーイフレンドも気にいったようだ。家族はまだ長野に残して、東京に越してきたばかりに、伯母に借りた落語のC […]

記録

ICCで10/10よりArchives and Representation 「記録と表現」アーカイブを作る・使うがはじまる。ようやくという感触で学校に貼られたポスターを眺めていた。幾つかのワークショップが行われるらしい。以下ギャラリーBでの内容説明抜粋 ー「ギャラリーBでは,デジタル技術によるデータの蓄積とその表現をテーマとした実験/展示を展開.それらを通してデジタル・テクノロジーの関与で「アー […]

「白い、白い一日・・・・」から

タルコフスキーが1986年にパリで亡くなる3年前の亡命宣言をした1983年から翌年にかけて、イタリアのサン・グレゴリオで、小説「白い日」と「鏡」の撮影直前のシナリオ最終稿をもとに、「白い、白い一日・・・・」は執筆された。死期を感じ取って「未完の達成」を目論んだのかどうかわからないが、新たに加えられた母親への幾つもの問いの列挙が目をひいた。20世紀を二つの世代の揺らぎで描くことの再試行に、見る事ので […]

アナトリー・ソロニーツィン

ストーカーで饒舌で懐疑的な役回りだった男が、鏡では見知らぬ医者として現れるが(時間的には逆だが)、実に印象深い。遠く立ち尽くして振り返るシーンはハリウッドスターにはこなせない。シーンがメタファーに彩られているというと安っぽい。タルコフスキーの作品は、これはこういうことと単純に変換できる比喩ではなくて、都度映像から与えられる想像力によって読み替えることのできる設定の積み重ねといえる。 導入部分の、吃 […]

映画「懺悔」の申請書などから

「人は何によって生きてきたのか、何によって生き、何によってこれからも生きるのか。それが、いかなる大きな、秘められた、われわれの目には見えない力によってなのか・・・・」A・タルコフスキー(自筆の署名)/アンドレイ・タルコフスキー「鏡」の本より抜粋/ 1973年3月22日から1974年12月20日までの作業ノートに貼られているタルコフスキー本人やスタッフた撮影したというプリントが、丁度魂の注ぎ込まれる […]

ファーゴと鏡

眠れなくなっていたので、熟睡を呼び込むために、ファーゴと鏡を観る。このふたつを選ぶのに随分時間がかかった。選択の力が萎えていること自体、覚醒と眠りの中間に漂っていることを意味していると思った。どちらも一度再生を停止させてしまっていた。観ることへ魂を注ぐ事ができない。肉体の疲労は無いが、魂が疲弊しているということだ。 こうも同じ作品を違った感触で取り込むことができるのは、つまり作品の力だが、ファーゴ […]

竹之内

ぼろぼろですよと電話で話していた竹之内が夕方訪れ、事の顛末を話してくれた。彼女に「puppy(子犬)」のように学校に捨てられたと話す竹之内に次女がすかさず「子犬じゃない」とつっこんだ。二か月間学校(慶応義塾大学院)の教室で寝袋で過ごしたという。妻も次女にならって自業自得と言い切ったが、それでもようやく秋になって湘南に部屋を借り、食事でも作ろうかという気になったと聞いて、話だけでは伝わらない細部に潜 […]

ケーキ

妻の誕生日のお祝い(?)に長女が、こちらが疲れて眠っている間、次女に手伝わせてキチンでケーキを作った。スポンジからクリーム、果物やデコレーショントッピングまできちんとできて、食事の後に妻が4本のロウソクを吹き消して家族でいただき、皆が口々においしいと長女を讃えた。祖父は3千円で長女に今度注文すると約束した。私たち家族は外食することはほとんど無い。妻が仕事で食事の支度ができないときは私が作るし、娘た […]

吉本ばなな

長女のクリスマスプレゼントに贈った吉本ばななの自選集1巻のオカルトを彼女の書棚から借りて読みはじめたのは、内容のない使えないアプリケーションの参考書を放り出して、結局所謂「作品」に「わからないことの答えのようなもの」を探すしかないと踏んだからでもあるし、青年期に奔走したように、現在の「わからない旬」を描く作家をもう一度丁寧に探すその手始めで「月の砂漠」から読む意欲を繋げたからでもあった。批評やエッ […]

参考書

わからないことがあるとネットで検索してみてから、本屋へ出かけることになる。「わからないこと」のほとんどは、南アメリカの小さな川だとか、15年前の同級生の名前とかといった、こちらがたまたま知らないことではない。こちらのわからないことにピンポイントで明快に解答を与えてくれる情報はほとんど無い。web検索で数十万、数百万の類似情報が引っかかるのに、検索を絞ると、該当する項目は無いとくる。誰もがこの「わか […]

水の机

日々の作業はこの目の前の机で行っているけれども、肩を窄めるような狭さが絶えず腹立たしい。端末とキーボードは必要だが、それで机の平面は簡単に埋まる。本来机は、空白でなければならないはず。回転する立派な椅子は手に入れたが、疲れた時などは、寝そべったっていい何も置かれていない広い机を夢想するようになっていた。「机という覚醒」の舟に知らぬうちにカラダを近寄せすぎた。仕事がひと段落したら、また水泳に通うこと […]

月の砂漠

角川書店から昨年末の12月25日に出版された青山真治の「月の砂漠」を、学校帰りの古本屋で見つけた日の二日ほど前の朝、妙にクリアな夢をソファーで辿り直し、確かに当時から映像に関わっていた大学の後輩のこれまでの仕事の幾つかを手渡されるということの、これまた飛躍に満ちた唐突な印象の再現の余韻が、点と点を結ぶように、その「月の砂漠」を一気に読み干すことに繋がったように思える。シニカルに選んだ映画の幾つかは […]