妻の誕生日のお祝い(?)に長女が、こちらが疲れて眠っている間、次女に手伝わせてキチンでケーキを作った。スポンジからクリーム、果物やデコレーショントッピングまできちんとできて、食事の後に妻が4本のロウソクを吹き消して家族でいただき、皆が口々においしいと長女を讃えた。祖父は3千円で長女に今度注文すると約束した。私たち家族は外食することはほとんど無い。妻が仕事で食事の支度ができないときは私が作るし、娘たちも、それでもたまにする外食自体をたいして美味しいと感じていないらしい。食事が日々の生存のための反復であるように、家族同士が食事を作り与えあって食べること自体を、食事と呼ぶようなスタンスが、娘たちにも根を張っているようだ。こちらの作る食事に文句の多いことも、実はこうした反復の成熟を表すし、ものを作って家族に食べて貰うといった、差し上げる嬉しさが標準となると、こうした長女のアイディアは、当たり前であると同時に素晴らしいことだと彼女自体が実感できる筈だ。後片付けができるともっとよいのだが。