長女のクリスマスプレゼントに贈った吉本ばななの自選集1巻のオカルトを彼女の書棚から借りて読みはじめたのは、内容のない使えないアプリケーションの参考書を放り出して、結局所謂「作品」に「わからないことの答えのようなもの」を探すしかないと踏んだからでもあるし、青年期に奔走したように、現在の「わからない旬」を描く作家をもう一度丁寧に探すその手始めで「月の砂漠」から読む意欲を繋げたからでもあった。批評やエッセイはやめようと決めていた。吉本ばななは決して好きな作家ではないが、小説家という作家稼業を実務的に行っていることが明快に理解できる、作品に現れる「姿勢」に間違いのない作家の一人ではある。1964年生まれだから、もう四十だが、虚飾が少なくて途中で本を閉じることは少ない。こちらに欠乏している今時の「旬」な感性というものを知るためと釘を刺して結局地下鉄でも読んでいた。2001年に立ち上げた作家のweb siteも、実にあっさりと清潔にまとめられているので好感が持てる。だがやはり足を踏み入れていない領域があるじゃないか、肯定のゴリ押しであるな、終わり方がどうにもやりきれないなどと読了後に勝手な不満が残ったが、作品群にくどいように反復される独特なスタンスには頭がさがった。荒木経椎が吉本ばななに迫る対談を想い出していた。
 食欲の秋が到来したかと思えるほどに気温が下がったが、旨いものに舌鼓を打ってやろうと身を乗り出す食欲はまるでない。そういえばこのところカップラーメンのようなテイストのツマラナイ映画を10本近く意味なく仕事の合間に眺めていた。映像テクノロジーの移り変わりを知るだけでいいと散漫に選んだB級で、中には観ていたが簡単に忘れていたものもあった。どうもテクノロジーに漂うというか、まとわりついている巷の美意識は、お役所の人間が、上司への報告にもったいぶったレトリックを使うようなニュアンスがあって滑稽だ。素人が小説家を気取る手紙の文面や、芸能人の絵描きなどと同じだ。現在に対して倫理的な自覚のある作家は、おそらく概念的なこれまでとばっさり手を切っている。だから、新しい「わからないこと」に近付ける。web siteなど作る仕事をしていて、エモーショナルで流暢、しなやかな動きのインタラクションを眺めても、同じような感触を抱く。web siteなど、やがて合理的な情報インターフェイスに統合されてもいいのだ。そうすれば全てのアナログなメディアは、完全に復活できる。自身の年齢と、時間と能力を見計らってこれからできることを自覚し、無駄なことを極力排除しなければ時間ばかり奪われる。どうもコンピューターは、模倣が上手だから、この歳でもバレリーナにだってなれるなと幻想を抱かせるところがある。気をつけて大事なことを見失わないようにしないといかん。週末に吉本ばななが好きと公言するカポーティでも探してみるか。


早朝の手前、午前4時頃、風呂のなかでOccultの636ページに「月の砂漠」が現れる。青山真治から吉本ばななへと流れる時に、いつか辿っていたが表層に浮かび上がらせる必要のない記憶の深層が、このクダリを根拠として指を動かしたと考えるほど、自身の能力を誇大して考えるのは気持ち悪い。季節の奇妙な符号というより、だからどうしたってんだと、636ページというこちらに馴染みの深い数字の重なりも、湯であっさり簡単に流そうと「血の色」という短編へ戻った。三十年以上口にしていない「月の砂漠」の鼻歌が、物語とシンクロして風呂場の中、水と共鳴してメロディーは続いたが、歌詞だけは途中で途切れた。気になって、風呂から出て、歌詞を探す。
以下、「月の砂漠」歌詞/加藤まさを作詞・佐々木すぐる作曲/大正12年(1923年)
月の沙漠を はるばると  旅の駱駝がゆきました
金と銀との鞍(くら)置いて  二つならんでゆきました
金の鞍には銀の甕(かめ)  銀の鞍には金の甕
二つの甕は それぞれに  紐で結んでありました
さきの鞍には王子様  あとの鞍にはお姫様
乗った二人は おそろいの  白い上着を着てました
曠い沙漠をひとすじに  二人はどこへゆくのでしょう
朧(おぼろ)にけぶる月の夜を  対(つい)の駱駝は とぼとぼと
砂丘を越えて行きました
黙って越えて行きました