日々の作業はこの目の前の机で行っているけれども、肩を窄めるような狭さが絶えず腹立たしい。端末とキーボードは必要だが、それで机の平面は簡単に埋まる。本来机は、空白でなければならないはず。回転する立派な椅子は手に入れたが、疲れた時などは、寝そべったっていい何も置かれていない広い机を夢想するようになっていた。「机という覚醒」の舟に知らぬうちにカラダを近寄せすぎた。仕事がひと段落したら、また水泳に通うこともいいが、広い机を真剣に考えなければいけない。
「水の机」というイメージは勿論、こうした状況があって生まれたわけだが、その実現は、写真作品となる。実現のチェックのためには、来月から、有楽町朝日ホール、国立近代美術館フィルムセンター等で開催される、カール・ドライヤーを観なければならない。その後は、机を巡る旅ということになるか。台風がそれたと早朝のニュースがTVから流れているが、窓の外の樹木は大きく風に吹かれている。