タルコフスキーが1986年にパリで亡くなる3年前の亡命宣言をした1983年から翌年にかけて、イタリアのサン・グレゴリオで、小説「白い日」と「鏡」の撮影直前のシナリオ最終稿をもとに、「白い、白い一日・・・・」は執筆された。死期を感じ取って「未完の達成」を目論んだのかどうかわからないが、新たに加えられた母親への幾つもの問いの列挙が目をひいた。20世紀を二つの世代の揺らぎで描くことの再試行に、見る事のできなかった映像を浮かべてみるのだった。ストーカー、ノスタルジア、サクリファイスと、当時学生だった私は、抱えきれない豊穣で多元な世界を提示されて、途方に暮れるしかなかったが、この寡作な映画監督の歩みをもう一度丁寧に辿り直すことに決めた。作品は終わらない