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皮膜層置

皮膜層置

 あるいは「種子」(seed)
計画素描

計画素描

 20年以上過去に放ったまま幾度か時折眺めていたスケッチからひとつを選んだわけではない。原型構造を新しく整えたものだから眺めの時間は加わっている。形象的に単純化した当時と現在とではそれを踏み台にする行方のヴィジョンが大きく変わっている実感を、諄いように与える計画的素描をはじめたのだったが、構想の実現へ具体化させるのではなく描かれるまま非現実的な膨らみを許す気持ちに従ったのは、素描が示す限定的なもの […]
粒膜外還

粒膜外還

 まず状況へ還す程度を識るために粒子の定着のレヴェルを試みる。描きの初動、タッチのような瑞々しさを全て潰してしまうのは馬鹿馬鹿しいので、囲碁のような後半勝負のせめぎ合いとなるかしら。  指に染み付いたものを払うのはかなり面倒だなと。  木炭紙と木炭に限定することに無理はあった。とは言え粒子を色面的に扱うつもりもないので、描きの速度の問題と、近視眼的な「戻し」(返還)を、スティックの描き根性という快 […]
反矩形

反矩形

 楕円(沼)に辿り着くことができないかもしれないとひとつ諦めた系をそれでも伸ばして組立て(積木)のジレンマも解けた性癖に促され片付けをしながら散らかし研きながら焚火で余計を焼いたりもして年の瀬の零下に悴んだ両手を擦り合わせる。想像力の行方を上下左右に広げたままの頭で湯槽の中朧な果てに視線を凝らそうとするが広がったものを纏めるような眼差しは容赦なく水に流すのだった。
物有

物有

 作品を主体化(作り手の分身化:自己投入の表象化)させない抑制の手仕事というものは、最初に取り入れられた様式(構造)の外の作業(形成に関する)としては類型的なものとなり、その整理の仕方というものが別途ある。この整理も抑制下で行われるので、極端な上下(清潔と乱暴)が切り捨てられ凡庸へ集まり倹しいものだ。併し繰り返すことで倹しさは意匠として安定する。但しこの作品状態(距離感)を逸脱した進捗を目論む(反 […]
境郭反復

境郭反復

 十五年前の境界(輪郭)を巡るプランスケッチを振り返り、現在と照らし合わせるということを行う。「明快なブレ」のようなものごとの輪郭をズラした形象として繰り返されたものだが、今みれば2Dと3Dの狭間に居る居心地の悪さのようなものを感じる。だが当時も今もこうした考察は現実空間に投影する計画ではない。つまり「スケッチ」として記憶する為にあったように行われ現在もそう在る。  現実空間のアナログ展開として、 […]
時横断

時横断

 90年代初頭から半ばまで世界の公共彫刻の資料を図書館で漁り調べながら、911で World Trade Center Plazaの作品は消滅した(と思う)が、James Rosati (1911~1988)のモニュメンタルな野外設置彫刻作品に傾倒し、緻密な「崩れ」の設計を、自身の学びに大いに取り入れた。Richard Serra (1939~)やFrank Stella (1936~)には、80 […]
錯覚景

錯覚景

 以前に同じ程度の大きさとディティールの人型を銀かブロンズで鋳造し、スカーフピンをつくりたいと考えたことがあったが頓挫していた。ジオラマをつくる興味は幼少からなかったが動物のミニチュアフィギュアなどは書斎のデスクや本棚に置いて眺めている。近隣の特に飯縄山の白地図を眺めて、博物館などにあるような立体模型を自分でこしらえてみようとも考えてはいたが、そのスケールでは人型サイズは必要でない。あちこちを探し […]
前併置仕草

前併置仕草

 実際にその場その時に対峙しなければ皆目見当がつかないなりに準備はほぼできあがった。故に現時点で働く想像力は「その時」とは大きくずれたものにすぎない。こうしたことを弁えること自体が制作に投入されており、つまりこうしたズレを測る試みに没頭しているようなものだ。 時間の移ろいを加えれば、ほんの一ヶ月であっても変異している眺めの質からの枝行きにも同じことがいえる。  反復のない反復という苦し紛れのメソッ […]
家識草

家識草

 先がみえない長い串に刺さった団子はひとつづつ順番にしか喰えない。その愚鈍で併し喰うわけだった。辿り着いた大型の団子をよく見てみれば、思った以上に喰い甲斐がある。  簡単には手に出来ない「古木」という肌合いが色めき立つようだった。若干ナメていたこともある。成程「超現実」は妄想をいくらでもひっくり返す。部屋に置いたフィカス・バーガンディの存在の力にひとつもふたつもみっつ以上任せることに腹を決め、馴染 […]
鉄家共燃態

鉄家共燃態

 1995年にユネスコ世界遺産の文化遺産として登録された、岐阜県白川村荻町、富山県五箇山相倉、菅沼の各集落に在る合掌造りの家の大きな屋根とその形は、環境と住まう人間の「家族」が明晰に示されている。現代の記号的な「家」は、核家族を表象していて小さいキューブに小さい屋根がかけられている程度だが、合掌造りの家は、「屋根裏部分を2層3層に区切り、天井に隙間を空け囲炉裏の熱が届くようにして養蚕のための場所と […]
余白開墾

余白開墾

 平面に向った当初はやはりしれっとした余白をそのままに放置し、随分長い時間それを眺めていた。木炭粉に対して白いチョーク、あるいは石灰などを浮かべた途端、安易に事後的に余白とするのではなく、余白を開墾せねばならないとふいに気づく。思えば長い道程だった。