preiser

 以前に同じ程度の大きさとディティールの人型を銀かブロンズで鋳造し、スカーフピンをつくりたいと考えたことがあったが頓挫していた。ジオラマをつくる興味は幼少からなかったが動物のミニチュアフィギュアなどは書斎のデスクや本棚に置いて眺めている。近隣の特に飯縄山の白地図を眺めて、博物館などにあるような立体模型を自分でこしらえてみようとも考えてはいたが、そのスケールでは人型サイズは必要でない。あちこちを探して、ドイツのPreiser Figuresにたどりつき、手にしてその精密さにうなずいて、今回の展開を構想した。ジオラマという趣味世界にとって「らしさ」という世界を自らのものにするという錯覚が重要であるのだろう。電車や建築、船舶、車両などのスケールモデルに、人型を添え置くことで、偽物がより現実らしさを醸すというわけだ。

 この時に得た世界観は「俯瞰」によってもたらされている。日々のリアルスケール(等倍)の世界においてはさまざまな「今此処」での折衝を余儀なくされ、つまり現時点の更新に奔走するしかないので、未来にも過去にもなかなか手が届かないものだ。俯瞰という「退き方」は、内省的であり予兆的であり普遍性を近づけ倫理的でもあるが、時にこの俯瞰に等倍の肉体を持ち込んだまま飛翔すると、自らのフィジカルを棚に置き隠し持ったかの差別的な傲慢が生まれる。思想も哲学も倫理的俯瞰から投じられるものだが、その善し悪しはフィジカルな発生源をもみつめる冷徹にあるから、見極めは簡単ともいえる。

 想像力というものは、共有できるものではなく、真逆のかなり孤立した妄想ともいえるので、判り合えない印象の拡張を特異に抱くシステムを、私は目論んでいるともいえる。荒川修作 (1936~2010)の初期から晩期までの展開を、先験的な俯瞰シミュレーションと私は捉えているが、「芸術、哲学、科学の総合に向かい、その実践を推し進める創造家」としてのコーデノロジストと転じた結びに、今更に得心する。