実際にその場その時に対峙しなければ皆目見当がつかないなりに準備はほぼできあがった。故に現時点で働く想像力は「その時」とは大きくずれたものにすぎない。こうしたことを弁えること自体が制作に投入されており、つまりこうしたズレを測る試みに没頭しているようなものだ。
時間の移ろいを加えれば、ほんの一ヶ月であっても変異している眺めの質からの枝行きにも同じことがいえる。
反復のない反復という苦し紛れのメソッドも実は実際の体感として都度呆然とゼロ地点に立っているので、再構築時に焼き残った状況をみれば(事実不手際を焚火で焼いた)、少しはましな得心におさまるだろうか。