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 90年代初頭から半ばまで世界の公共彫刻の資料を図書館で漁り調べながら、911で World Trade Center Plazaの作品は消滅した(と思う)が、James Rosati (1911~1988)のモニュメンタルな野外設置彫刻作品に傾倒し、緻密な「崩れ」の設計を、自身の学びに大いに取り入れた。Richard Serra (1939~)やFrank Stella (1936~)には、80年代から感化され、それは継続していたが、ロサティーの端正さをその感化へ並べると、別の光景が浮かび上がったものだ。2002年にはロサティー作品の構造を引用解体したCGを制作していた。
 絵画的な素地は、構想する十代(十二歳〜二十歳)に敷かれたけれども、大学でこれを専門的に行いはじめれば、もの派の理論家たちに教えてもらったことも加速装置となって、反絵画的ベクトルをはじまりから指向していたので、当時流行りはじめたシェイプドキャンパスからニューペインティングやバッドペインティングなど然程関心がなかったように思われる。平面性の多くが手法論に陥っていたように感じていた。同時代的なリチャード・ローティーなどのプラグマティズムも影響もある。私にとっては描くことよりも、構想すること自体、つまりある種の現実性の構築(積木)がやはり軸にあり、平面性という「意訳(執着)」展開仕様(壁面に置く)だけでは満足ができないようだ。1983年には記憶を現実空間へ再構築するファンタジーに近いことを行っており、これが現在まで残り、その不完全だった再構築に対する反省がまだある。
 かといって、現実空間を物理的にこしらえることも、「意訳」にすぎないことは承知した上で、意識を過去と未来へスライドさせるかの「横断する」ような速度で生まれる見極めを、「拵え」に含ませることしかできないが、最近この仕草において充足とそこから構想力が乗算される光景の広がりのようなものを実感している。


 しかし今振り返れば、崩れ落ちるワールドトレードセンターにロサティーの作品が置かれてあったことは予知景であるとしかいえない。

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追記

 集積構成から導かれるヴィジョンがないわけではないが、そういった統合的な方向性は、ヴィジョンによって限定されることになるので、むしろその集積併置が別のシステムによる便宜的なものであるほうがよいと思われる。