先がみえない長い串に刺さった団子はひとつづつ順番にしか喰えない。その愚鈍で併し喰うわけだった。辿り着いた大型の団子をよく見てみれば、思った以上に喰い甲斐がある。
簡単には手に出来ない「古木」という肌合いが色めき立つようだった。若干ナメていたこともある。成程「超現実」は妄想をいくらでもひっくり返す。部屋に置いたフィカス・バーガンディの存在の力にひとつもふたつもみっつ以上任せることに腹を決め、馴染みの草木店へ車を回すと丁度よろしいものがひとつこちらを待っていた。
この誂えの併置というだけで、奇妙な整い(倫理)に促される。樹木の徒長に似た盛りのついた威勢のようなものが、併置によって静まるのが嬉しい。さて。だがやることは多い。
言説でいうところのインターテクスチュアリティー(プレテクスト・間テクスト性)というテクスト間相互関連性自体への関心を、表象(視覚表象)態へスライドさせる「気質」のようなものが、もともとこちらにはあって、モノたコトに与える作業(仕草)をそのような遍歴を辿らせてきた。これはレトリックのような政治的効果をめざして洗練する技術ではなく、むしろある種の「儚さ」が伴うことが、脆弱と不安として必ず付き纏っていたが、不思議なことにそういった状態が環になって働くことに気づいた。