内と外の次元変異する境界の門 / プランドローイング2016年、6月 / wide 850mm x high 550mm / 木炭、鉛筆、テプラ転写、MBM木炭紙

内と外の次元変異する境界の門 / プランドローイング2016年、6月 / wide 850mm x high 550mm / 木炭、鉛筆、テプラ転写、MBM木炭紙

 20年以上過去に放ったまま幾度か時折眺めていたスケッチからひとつを選んだわけではない。原型構造を新しく整えたものだから眺めの時間は加わっている。形象的に単純化した当時と現在とではそれを踏み台にする行方のヴィジョンが大きく変わっている実感を、諄いように与える計画的素描をはじめたのだったが、構想の実現へ具体化させるのではなく描かれるまま非現実的な膨らみを許す気持ちに従ったのは、素描が示す限定的なものと含み持つ未知の案配をコントロールする愉悦のようなものに導かれるからだった。そもそも皮膜(フィルム)投射される「描き」の手法的な問題に直に関わることで、個人的な可能態を明瞭にさせたい方向性がまずあり、一方ではそういう意味での、できること、できないことなどを確認する作業だけに戒めるようであったので、ヴィジョンマニュアル的な計画〜では、あっさりとここ数年の空間の視界的な扱いに向うことに決めていた。同時にタブローの取り組みを横に置き、文脈(粒子併置)の枝先を迷わせたまま時間が過ぎていた。どちらかというと図案的対社会的なプレゼンテーションに傾くヴィジョンとなりつつ、二年程転がしている別の実現構想を意識していたこともある。こうした計画的ヴィジョンで個人的に明らかになったのは、手法的な皮膜的思想的な考え方に「併置」すべきは、現在の状況論(気分的なものを含む)であり、これは散らばったものを正確な場所に整頓するような態度となった。時間的狭間で、例えば住居を片付ける(修復継続する)手付きで思いがけないスペースが生まれる、継続できるな、という現実感はある。
 素描構造に観念的に加えたSF的なオマージュは、スタティックな展開ではむつかしい動的なヴィジョンを示すので敢えてその自在度(簡略化)に任せたが、時間の経過によっては、行方の途切れたままの他愛のないことかもしれない。類型累積を試みる懸案も姿をみせてきたたので、ゆっくりと関わることにする。計画とは設計ではないということは言うまでもない。

*輪郭を振動させつつゲートに投射されるイメージと選択したもの(メモ)
Guernica 1937 Pablo Picasso
Les Nymphéas 1926 Claude Monet
Le noir 2016 Pierre Soulages
Band 2006 Richard Serra
Сталкер 1979 Andrei Arsenyevich Tarkovsky
Kandampat 2002 Frank Stella
Tokyo Twilight 1957 Yasujirō Ozu
Der Himmel über Berlin 1987 Wim Wenders
Negative capability 1817 John Keats
The Waste Land 1922 T.S.Eliot