併置似吐息
譬えようのない抽象から様々なイメージが放射される自由と比較して、落葉の如き言説を借りる佇まいの併置は、其処への眺めを落葉言説の余白へ広げるならばよいけれども、言語束だけに留まる硬直を与えるリスクがある。設置から戻り記録を精査しつつ、併しここにきて無意味な放下を気取って日付のようなタイトルを付したならば、樹木の根枝としての自らの時間を、むしろ秘匿するような陰りが尾鰭となる。それは既に切断した筈だった […]
季明譚示
苛烈な告白私小説の極北とされる葛西善蔵(1887-1928)から嘉村礒多(1897-1933)の作品を執拗な目で追う古井を風呂で捲りながら覚醒していく感覚が季節の明瞭さと同期して気持ちがよい。
痛病非堪入院正解
寝床に這った小人が爪楊枝ほどのカミソリを喉に仕込んだのだろと目を開いたまま思うような痛みで言葉も喋りにくくなり成り行き任せ娘を同伴した軽井沢行を取りやめて早朝から病院の梯子をして長野市民病院に辿り着く。
脇世界素性
真横に極めて近くに知らない世界は散乱していて、互いはほぼ知らぬまま交錯しないまま存在を続けることは、つまりパラレルワールドのようなことだと、馴染みの無い街角などを一瞥すると、諧謔の自己客観も知れていると尻を出したまま頭を掻いている。
移動憶行方
闇雲に歩いては町並みや路、使い古された人為の痕跡の事へ向かってシャッターを押していたことと幾分異なったスタンスでカメラを使う日々となったな。早朝の高原の里からのパノラマを暫く眺めて、ではその差異とは何か繰り返し言葉に置き換えて考え車に乗るのだった。
促受活性直世
まだ若い身空で途方に暮れることを楽しんでいる風な作り手たちに、まるで自身を振り返るような反復感を重ねこちらの耐えたようだった棘を取り除きたい親心もややあったけれども、それよりも世界を直に掴むように凝視する動物的な本能的な気概の強さ、あるいは柔軟さに促され気圧され、彼らとは幾分スタンスの異なった広がりを省みて、鉛筆を緩く持つのだった。