1.5/50 L_M

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闇雲に歩いては町並みや路、使い古された人為の痕跡の事へ向かってシャッターを押していたことと幾分異なったスタンスでカメラを使う日々となったな。早朝の高原の里からのパノラマを暫く眺めて、ではその差異とは何か繰り返し言葉に置き換えて考え車に乗るのだった。

讃歌、謳歌は子供の頃から気に入らない。これにはPTSDによるものかもしれないと考えたことがあったが、今更治療したとして、新興宗教に身を投じ脱皮するかに人間を変えるつもりはないので、気に入らないまま墓に入ることになる。バンザイ三唱も酷く気に入らない。ある種のスバラシさあるいは興奮を広く共有するようなことがつまり気に入らないのだから、バイアスとしてものづくりの立場でありながら気質として内向せざるを得ないわけだ。

厳密に辿り直し例えばこの十年のフィルムからデジタルへの移行はつまり覗き込む検証の具体姿勢がルーペから液晶モニターに変わったというだけのこの違いによって視界の広がりと検証持続が格段に楽になったので、年齢的な老化に対して顕著に効果がある。こちらにとってデジタルとはそういうものでしかないという具合でよろしい。昨今のフィルム風なレトロマジックな静止画像を見ると、もうちと細部が見えるようにしてほしいだけなんだがと思う。

夕方まで二時間ほどウトウトした昼寝の夢の中「抽象とは意識に働きかける表象であるので、風景が描かれていても肖像画であっても二次元ですので抽象です。写真も瞬間が凍り付いているわけで実際の人生では経験できないことが示されており抽象です」言葉が足りないと感じながら村の子や農夫たちに講話していた。