譬えようのない抽象から様々なイメージが放射される自由と比較して、落葉の如き言説を借りる佇まいの併置は、其処への眺めを落葉言説の余白へ広げるならばよいけれども、言語束だけに留まる硬直を与えるリスクがある。設置から戻り記録を精査しつつ、併しここにきて無意味な放下を気取って日付のようなタイトルを付したならば、樹木の根枝としての自らの時間を、むしろ秘匿するような陰りが尾鰭となる。それは既に切断した筈だった。言説の余白をみつめる誘導が、別の実現から促す事ができるかもしれないと、ジャン ボードリヤール (1929~2007)「消滅の技法」から借りたタイトルを与えた展開設計を煮詰めるのだった。
世は定めなきこそ、いみじけれ