真横に極めて近くに知らない世界は散乱していて、互いはほぼ知らぬまま交錯しないまま存在を続けることは、つまりパラレルワールドのようなことだと、馴染みの無い街角などを一瞥すると、諧謔の自己客観も知れていると尻を出したまま頭を掻いている。
交錯せずとも象徴的な記号を渡らせることで、散乱する差異の世界はいつかどこかで同期するかもしれないが、それを目的にすることは何か空しさがある。