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10月 25, 2013 • Comments Closed
家に戻りギャラリーでのスナップ撮影を辿るとこんなところに海がみえる。勘違いを膨らませるに任せた。
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10月 15, 2013 • Comments Closed
過程そのものに磁性と魅力があり、その経緯自体に充実するということは、人として生として幸せだが、ルーチンの縛りともなり得る。
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10月 14, 2013 • Comments Closed
理由をあれこれ考えたがこれといった原因が判らない。飼いはじめてまだ三ヶ月のパーと名付けたメキシコサラマンダーがふいに死んだ。
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10月 9, 2013 • Comments Closed
譬えようのない抽象から様々なイメージが放射される自由と比較して、落葉の如き言説を借りる佇まいの併置は、其処への眺めを落葉言説の余白へ広げるならばよいけれども、言語束だけに留まる硬直を与えるリスクがある。設置から戻り記録を精査しつつ、併しここにきて無意味な放下を気取って日付のようなタイトルを付したならば、樹木の根枝としての自らの時間を、むしろ秘匿するような陰りが尾鰭となる。それは既に切断した筈だった […]
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10月 4, 2013 • Comments Closed
吉凶を占うつもりなどさらさらないけれどやはりまた短籍風の形態となった。
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9月 24, 2013 • Comments Closed
苛烈な告白私小説の極北とされる葛西善蔵(1887-1928)から嘉村礒多(1897-1933)の作品を執拗な目で追う古井を風呂で捲りながら覚醒していく感覚が季節の明瞭さと同期して気持ちがよい。
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9月 7, 2013 • Comments Closed
寝床に這った小人が爪楊枝ほどのカミソリを喉に仕込んだのだろと目を開いたまま思うような痛みで言葉も喋りにくくなり成り行き任せ娘を同伴した軽井沢行を取りやめて早朝から病院の梯子をして長野市民病院に辿り着く。
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9月 3, 2013 • Comments Closed
大学生の娘が夏休みの後半をゆっくり過ごしたいと山に来て一緒だった友達も帰り親子で秋の夜長を過ごしつつ一週間ポンコツの代車に悩まされたが修理が終わったので少々ドライブを楽しむ。
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8月 27, 2013 • Comments Closed
修理されつつあるテラスを眺めつつデスクワークというのはなんともよいものだ。庭に手が回れば季節が更に楽しくなる。
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8月 20, 2013 • Comments Closed
真横に極めて近くに知らない世界は散乱していて、互いはほぼ知らぬまま交錯しないまま存在を続けることは、つまりパラレルワールドのようなことだと、馴染みの無い街角などを一瞥すると、諧謔の自己客観も知れていると尻を出したまま頭を掻いている。
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8月 14, 2013 • Comments Closed
歩んだ確かさの無い日々はただ過ぎていくわけで、普段は目の前を追うばかりで気づくこともない。
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7月 28, 2013 • Comments Closed
闇雲に歩いては町並みや路、使い古された人為の痕跡の事へ向かってシャッターを押していたことと幾分異なったスタンスでカメラを使う日々となったな。早朝の高原の里からのパノラマを暫く眺めて、ではその差異とは何か繰り返し言葉に置き換えて考え車に乗るのだった。