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多契隣窓

多契隣窓

 「多様契約と窓」の制作をはじめる。  一寸先がみえないという創作の醍醐味を抱きよせて、静止画像の前に併置するつもりのオブジェクトの試作は、ここ数ヶ月の大股の歩みを近視眼的に検証するような手付きとなった。マケットやらジオラマのようでもあり、彫刻性と絵画性と建築性を呼び込むような自在な戯れを許して、静止画像(窓)を更に切り詰めて選ぶことになる。  採集物への注視をそのまま形にする極めて単純明快なスケ […]
遡基本現在

遡基本現在

 ほぼ50日過ぎて地震の片付けに手が届くようになり、年末には間に合わなかったが新年も明けて10日経ち、ようやく徐々に環境が片付きはじめた。片付けの合間の風呂の中でも寝転んでも考え込んだ風に頭も髭も剃らず過ごしていた。  空間に対応する広角レンズの画像ばかりを整理していた流れがあって、標準レンズで歩くことを再開すると、自分の視線との近似値に再び驚いて感じ入っていたことがあり、白い紙に鉛筆を転がしたこ […]
瞳相対録

瞳相対録

外与枝形

外与枝形

 二年前に得た環境からの率直として欅の幹薪を短冊に仕立てる素材の解釈をはじめていた。朽ちた流木や落枝の並列と併行して、しなやかな細枝を家の入口に集め置き、剪定など与えてから、やや太い幹の断ち切った幹枝を併置する方法を考えて、生活の場所から離れ空間を意識することをおこなった。すると三十年前の手付きやビジョンに戻ったような心地である種の反復を再び繰り返していた。枝の形というものの、自明な自然(じねん) […]
枝切為石鹸

枝切為石鹸

石鹸(桐原由江制作)の為の枝切置  桐原由江の、グレーテルが森で籠に拾い集めたものをヘンゼルがそれは喰えないよと窘めるかの、ハンドメイドソープを使わせていただき、目から鱗を落とした。5千年前シュメールのソープの丘で羊の脂が灰に落ちた偶然から生まれた石鹸は、現在では日常的なツールであるにも関わらず、香るだけの悪しき生産物が主流となっている。  身の汚れを落とすという仕草を手に入れた時、人は明日を生き […]
枝切置

枝切置

 再びまた凝りもせずに自然に散乱している奔放な樹木の破片を場所につなぎ止め(=仮設する)たいとした、この季節の底辺には、「耳なし芳一」から「安寿と厨子王」へ辿ってみつめ続け変位した自らの生存環境の思索という流れがあり、同時に、この系へ注ぐようだった稚拙な言語化の反復で気づいた「身の丈」という表出のレヴェルを、実直なみえるかたちで探索する静止画像の撮影がこれを支えるようだった。  俯瞰した構造を再現 […]
静止捜査考

静止捜査考

120314 from baeikakkei / T.M on Vimeo.  現場や証拠の写真を壁に張り巡らせて、容疑者や彼の動機を組み立てる捜査官を映画や書物の内で眺めていると、撮影した静止画像を幾つも置いてみつめる自身の目つきが、物語の探索者とほとんど似ていることに気づく。  捜査官の視線の行方は、画像には見えない「秘匿性」に向けられ、床に転がったハンカチーフの片隅の小さな模様から導かれた生 […]
他者照射考

他者照射考

思わず、靉光(石村日郎 1907~1946)「目のある風景(1938 / 東京国立近代美術館)」を浮かべてから、石村の絵にある目は、時代的にみても自己投影あるいは自画像的な内向から離れていないと府に落として、川合朋郎の新作は、明らかに宇宙(そら)の、絶対的他者を示していると個人的には感じていた。 つまり、人間的相対的な類型の「瞳」の誘惑ではなく、善も悪も言語も仕組みも届かない、霊的なものであるかも […]
本四冊編

本四冊編

 千から六十を選んで本として整える仕事に手間取ったのは、主観を排除したいと願ったからだったが、いずれこうした作業は無理があると判り、入替えや差し替えを繰り替えすことにも厭きて、変哲の無さに落ち着かせると決めた途端に幾分楽になった。  続けて「あなたの人生には関係のないこと」というタイトルの自家写真集をこしらえる為に画像八千弱からほぼ二百を選んで現像しつつ何かが抜けていると感じる。一万を超えれば余程 […]
112214_2208_M6.8

112214_2208_M6.8

七光闇切態

七光闇切態

 厨子王の「復讐」が薄められた鴎外の意訳から説教節に戻り、やはりまた構造のダブルバインドとなった徹底という出来事の描写(認識)が、関わりの頓着となってこちらには浮かび上がり、厨子王の日々を手元に集めるような念となり、憑依とは異なり何処か透谷に似てくる。 山庵雑記 (1893)・三日幻境 (1892) / 北村透谷 (1868~1894)
剪定枝窓

剪定枝窓

 当初思い描いていたものを見直したのは冬に展開するインスタレーションから演繹するような時間的配置で制作詳細は決定すべしと判断したからだが、同時により一層余計を省き恥を抱き込んでもよいから身体の清潔をせいぜい示す程度の意味合いを加えたいという想いが増した。古井からポール・ド・マン(理論への抵抗)へ読み移るこちらの流れもあった。季節もある。無論年齢的なこともある。  時節柄ここ数年に渡る試論めいたさま […]