鉄家共燃態
1995年にユネスコ世界遺産の文化遺産として登録された、岐阜県白川村荻町、富山県五箇山相倉、菅沼の各集落に在る合掌造りの家の大きな屋根とその形は、環境と住まう人間の「家族」が明晰に示されている。現代の記号的な「家」は、核家族を表象していて小さいキューブに小さい屋根がかけられている程度だが、合掌造りの家は、「屋根裏部分を2層3層に区切り、天井に隙間を空け囲炉裏の熱が届くようにして養蚕のための場所と […]
余白開墾
平面に向った当初はやはりしれっとした余白をそのままに放置し、随分長い時間それを眺めていた。木炭粉に対して白いチョーク、あるいは石灰などを浮かべた途端、安易に事後的に余白とするのではなく、余白を開墾せねばならないとふいに気づく。思えば長い道程だった。
地誇時間
石川県の人口が約115万、金沢市の人口は、100万人の兵士を1年間食べさせていた加賀百万石の文脈を経て、現在約46万。戦争天災などの被災破壊を受けていない市街地は、勿論近代化されながらも、過去がその形象に焼きつけられている。北陸新幹線の開通で、市街には路面電車の開発の声があがっている。庇護の元育まれた伝統工芸の地にあって、盛んに先端の現代美術が企画されているその姿勢に学ぶものが多い。単に歴史に縋 […]
数形往間
春の毒に充ちたものを喰って腹の中を吐き出して洗浄する獣たちを浮かべて、たしかに食欲の季節ではない。余白みたいな大気にあれこれ滲み出るから嗅覚が敏感になるように、視覚も尖ってくればよいが、知覚はひとつが突出すると他が萎えるのだろうか。
齢数近寄
一旦組み立て作業を片付けようとしていたが、積もったものを数えると年齢のようなものをあてはめる唐突な気持ちが浮かび(そもそも浮かんだのも、作業の手触りの残滓、余韻が不足不十分を訴えたのかもしれないし、木炭で行う作業になかなか入り込めない隙も生まれていた)、終わりのみえない書類整理の脇に座り込み、再び闇雲を取り戻すかの加減で自分の年齢の数だけと根拠のない拘りに取憑いてはじめていた。
百詩千線
ー 「燃えるモーツァルトの手」という一行は、いきなりはじまってしまった音楽のつよさをもっている。「燃えるモーツァルトの手」とはなんのことだろうか。と思う間もなく、それを「みるな」という声が発せられる。しかし、この禁止がつよいものであるとき、詩を読む側はかえって、「燃えるモーツァルトの手」というありえないようなイメージがいやおうなく見えてくる。また、この一行の中の三つのM音が作品のリズムと旋律をつく […]