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再視置

再視置

 2014年8月から更新を頓挫していた自らのフォトログの17ヶ月分を四日かけてアップデートする。 log / keep it simple stupid http://hitonoyo.com/log/ 2016年1月にとりかかった途端疲労が溢れた。数年前にログサイト自体を移籍し過去のリンクが途切れていたのでこれも修復する。  写真の膨大な編集をいくつかに分けてはじめていたことで、更新する気持ちに […]
日

娘

 入籍を済ましていた長女の挙式と披露宴は、本人たちが作り上げたなかなかしっかりとしたものだった。ラグビーとラクロスの友人らが多く出席するので、体育会系の騒ぎを想像していたが、そんなものなど全くなく、しっとりと落ちついたよい宴だった。新婦の父親として引っ張り回されたけれども黙って従っていた。親族は皆涙を流していたようだった。わたしも涙がでたが少しも恥ずかしくなく、自然なことのように感じていた。皆に幸 […]
圧縮置

圧縮置

 宛ら木霊(エコー)に聴耳を立てる姿勢が続いておりそこにはこれまでの独り言も大いに加わっているので揮いにかけてから手元の小さな視界へ折り畳むようなことに明け暮れる。
残時手

残時手

 井手英策(1972~)の「経済の時代の終焉」を年を越えて捲ると頷くことが重なる。この年は、放り投げるより少々「丁寧」を取り戻すかと思う。
反矩形

反矩形

 楕円(沼)に辿り着くことができないかもしれないとひとつ諦めた系をそれでも伸ばして組立て(積木)のジレンマも解けた性癖に促され片付けをしながら散らかし研きながら焚火で余計を焼いたりもして年の瀬の零下に悴んだ両手を擦り合わせる。想像力の行方を上下左右に広げたままの頭で湯槽の中朧な果てに視線を凝らそうとするが広がったものを纏めるような眼差しは容赦なく水に流すのだった。
物有

物有

 作品を主体化(作り手の分身化:自己投入の表象化)させない抑制の手仕事というものは、最初に取り入れられた様式(構造)の外の作業(形成に関する)としては類型的なものとなり、その整理の仕方というものが別途ある。この整理も抑制下で行われるので、極端な上下(清潔と乱暴)が切り捨てられ凡庸へ集まり倹しいものだ。併し繰り返すことで倹しさは意匠として安定する。但しこの作品状態(距離感)を逸脱した進捗を目論む(反 […]
境郭反復

境郭反復

 十五年前の境界(輪郭)を巡るプランスケッチを振り返り、現在と照らし合わせるということを行う。「明快なブレ」のようなものごとの輪郭をズラした形象として繰り返されたものだが、今みれば2Dと3Dの狭間に居る居心地の悪さのようなものを感じる。だが当時も今もこうした考察は現実空間に投影する計画ではない。つまり「スケッチ」として記憶する為にあったように行われ現在もそう在る。  現実空間のアナログ展開として、 […]
時横断

時横断

 90年代初頭から半ばまで世界の公共彫刻の資料を図書館で漁り調べながら、911で World Trade Center Plazaの作品は消滅した(と思う)が、James Rosati (1911~1988)のモニュメンタルな野外設置彫刻作品に傾倒し、緻密な「崩れ」の設計を、自身の学びに大いに取り入れた。Richard Serra (1939~)やFrank Stella (1936~)には、80 […]
錯覚景

錯覚景

 以前に同じ程度の大きさとディティールの人型を銀かブロンズで鋳造し、スカーフピンをつくりたいと考えたことがあったが頓挫していた。ジオラマをつくる興味は幼少からなかったが動物のミニチュアフィギュアなどは書斎のデスクや本棚に置いて眺めている。近隣の特に飯縄山の白地図を眺めて、博物館などにあるような立体模型を自分でこしらえてみようとも考えてはいたが、そのスケールでは人型サイズは必要でない。あちこちを探し […]
前併置仕草

前併置仕草

 実際にその場その時に対峙しなければ皆目見当がつかないなりに準備はほぼできあがった。故に現時点で働く想像力は「その時」とは大きくずれたものにすぎない。こうしたことを弁えること自体が制作に投入されており、つまりこうしたズレを測る試みに没頭しているようなものだ。 時間の移ろいを加えれば、ほんの一ヶ月であっても変異している眺めの質からの枝行きにも同じことがいえる。  反復のない反復という苦し紛れのメソッ […]
昇落足元

昇落足元