数形往間
春の毒に充ちたものを喰って腹の中を吐き出して洗浄する獣たちを浮かべて、たしかに食欲の季節ではない。余白みたいな大気にあれこれ滲み出るから嗅覚が敏感になるように、視覚も尖ってくればよいが、知覚はひとつが突出すると他が萎えるのだろうか。
齢数近寄
一旦組み立て作業を片付けようとしていたが、積もったものを数えると年齢のようなものをあてはめる唐突な気持ちが浮かび(そもそも浮かんだのも、作業の手触りの残滓、余韻が不足不十分を訴えたのかもしれないし、木炭で行う作業になかなか入り込めない隙も生まれていた)、終わりのみえない書類整理の脇に座り込み、再び闇雲を取り戻すかの加減で自分の年齢の数だけと根拠のない拘りに取憑いてはじめていた。
百詩千線
ー 「燃えるモーツァルトの手」という一行は、いきなりはじまってしまった音楽のつよさをもっている。「燃えるモーツァルトの手」とはなんのことだろうか。と思う間もなく、それを「みるな」という声が発せられる。しかし、この禁止がつよいものであるとき、詩を読む側はかえって、「燃えるモーツァルトの手」というありえないようなイメージがいやおうなく見えてくる。また、この一行の中の三つのM音が作品のリズムと旋律をつく […]
時捧置未
branch hutch MBMへの木炭の定着のレヴェルをあれこれ試すと、やはり粒子の状態という見極めがつく。口実(プレテクスト)的過程の併置論は、だから詰まるところ、超近視眼的な状態を示すことになる。
世導促作
気象と標高などの環境で形成される樹木の奔放すぎる所謂自然の形態と意味に、人間が調子に乗っても付け入る隙がないので、せいぜい出来る事は限られている。恣意が勝る形態で自然を陵辱することは勿論恥ずかしい。適度に崩れた端材(世界素材)に導かれ促されるという崩れた作業そのもので在るために、工夫をこれいらないあれいらないと削除しつつ、40枚の木炭紙と追加木炭が届く迄制作作業継続。 (やはりコメリの整形してい […]