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 構想をいきなり計画した土台で展開する意気地がないので、ストックされていたMBM木炭紙の手頃さに飛びつき手法も木炭をそのまま握って試論的に作業を行うと、やはり青年期から中年まで骨に染み込ませた描きの絵画性という癖のようなものが自然と滲んでくるので弱り果てる。だがまあ、それがこちらの人生であるので忌み嫌うこともないと平面にとりかかかったので、判別の成熟を与える年齢の眼のようなものを頼りに、意思決定すればよいとした。

 それにしても、描くということは発掘のような足掻きを表出させる行為なので、放下する、放置する、併置するという一期一会を突き詰めれば、書のような鍛錬の挙げ句の吐息のようなものになるしかないので、描くことの検証、批判的な線なり色なりを置くことになる。そういったことごとの集積がひとつの四角い平面画面に広がる時、統合的な結論じみた所謂絵画性から逃げて、エッセイ(試論)に似た断片として遺ればよいか。

 いずれにしろ、空間的な仮設とモノ自体の扱いへも幾度も戻る道を含んだ平面であるので、そういった照応を経る自由度は状況理論として維持するものになるだろう。

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