体育館のような高さと広さはあるが、壁に罅がはいり、いたるところに蜘蛛の巣もあり、廃墟かと思ったが、女性の学芸員が自分の部屋迄手招きした。屋根裏のような印象の室内には書類が乱雑に積み重なり、彼女の独り住まいを連想させた。
「光の柱、つまり映像の柱よ。欲しいのは」
だされた珈琲カップの縁が割れていた。こちらもいっそ廃墟でもよいと思い始めていた。表象は人間の手元に届く形に縛られているので限定的な時空が必要です、と言葉にすると、祭りじゃないわよと、学芸員は鼻に下がった眼鏡を中指で眉間の奥まで上げ、端末とプロジェクターを30台用意すればいいのね。とあっさり口にした。

夢の話だが、自分の口から漏れた「縛り」に、夢のあと縛られた。

600seconds.jp 構築スタート

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娘にPSG9を使わせることにして、重い機材を肩に食い込ませた前のめりの歩みから、腹の上にぶら下げ浮浪の歩みを取り戻すためのコンパクトデジカメを比較する。SIGMA DP1Leica D-LUX4が残り、やはり、価格よりもレンズの明るさ、ISO、フレームサイズの選択可能、SDHC32GBメモリーカードでHD動画(1280 x 720 画素 : 24コマ/秒)が2時間50分記録できるなどでD-LUX4か。

季節柄色彩の鮮やかな野菜が美味しい。


景気の行方に暗雲が立ちこめる昨今、人々は家庭でつくった食事を摂るようになり、買いモノを控え、外出をやめて、倹しいの生活をするようになったとあちこちで報道されている。
残業をやめて早く帰宅するようになった家主を交えた、慣れないような家族団欒の部屋のモニターを眺める時間が増え、もうすぐ地デジになるから、いっそプラズマモニターを購入するかと、きりつめながらも、室内の時間拡大の対応にコンシューマーデバイスの充実を図る傾向もあるようだ。
居間の棚に並べられるものが増え、これまで無関心だった家主が家族の嗜好に文句を挟み、逆に非難されつつ、倹約という名の元で、新しい濃密が、これにも慣れねばいけないという緩い気怠さと、ある種の不自然さを引き連れて漂いはじめる。

と、そんな想像の縁で、非日常への憧憬が、これもまた募るのではないかと、自分の中のそれに気づく。
持続反復スキルの成熟で都度の迅速対処を身体に染み込ませた人間が、対処できない現実の、唐突な現れに惹かれるのも、こうした時期ではないか。小さな画面を並べ、いうならば過去をしげしげと眺め見る時間が並行してあり、いかにも現代的な「個人の受容器」のサイズの時空に、背を丸めるようにしている自身が、滑稽な姿となって哀れさをまとう。廃墟とみえる無駄に大きな空間の夢を、こうした受け止めで捉え直すと、無人の体育館に寝転んだ時に、発作的に叫んだ声の反響を面白がってくりかえした12歳を、質感を伴って憶い出す。タイミングがもたらす直覚的なイメージは、これまであまり間違ったものではない。正当性を厳密に突き詰めるより先に、このイメージを増幅させるべきとした。

3 IN 1 CORDOVA BAY JACKET / eddie bauer
This Is The One / UTADA (CD)
レヴィ=ストロースの庭 / 港千尋(1960~)
りすん / 諏訪哲史(1968~)
イラクサ / アリス・マンロー(1931~)

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