日本語の読みの形はやはり縦書きだと今回のブランチングから縦組にしたこともあって、取り組み始めたApertureでのBook編集のテキストもそのようにと思ったらテキストフォーマットは横しかないので縦組を画像化させて組み入れようとしたけれども再びBook体裁自体が左開きの左手送りだったので縦組頓挫。
2008年から遅々と記した枝間ノ闇としてまとめて遺している寓話断章をBookに組み入れようと藻掻き始めた。ひとつの孤立した景とひとつの寓話を無関係に併置するだけのことだが累々と並ぶ画像ほど断章は構想されているわけでないので、写真画像主体のBookにはなる。振り返って乱暴なメモと行っていいスクリプトを辿るとそれでも幾つかは時間の経過に耐えるものがある。
過去のスクリプトの演繹とも予知だったともとれる寓話の展開に苦笑しつつ予知だとしたら想像力が足りなかったディティールの不足を大いに反省して照応すべき凛然としたあるいは呆然とした画像検証へと戻る。
写真画像検証で陥りやすい穴は、景の併置によって出鱈目な関係を結んで淡い空間を妄想したったひとつということを喪失することだ。この気づきによってたったひとつを達成していない画像はシビアに篩い落される。
現代日本文学大系〈6〉北村透谷,山路愛山集 (1969年)/ 筑摩書房
北村透谷詩集 (現代詩文庫 第 2期1) / 思潮社