ひねもすピノッキオの目というアパチャーブック編集を終え高地回遊の版下へ続けると早朝ゲンタからマミヤ645ゲットのメルがあり、丁度いっそ壊れたカメラで撮影したいと考え始めたところだったのでぎょっとするが、ゲンタの645が壊れているわけではないと弁える。
あまたレンズの残した陰影はほぼレンズの効果を全うされているものばかりなので、ピノッキオの目という恣意はレンズという計測の実直への陵辱でもあると感じつつでもそのべっとりとした恣意の仕草は止まらなかった。理由を挙げればあれこれ浮かんだけれどもそうした弁解の後ろめたさのようなものがつくづくこちらの基本に流れるものではないかと腑をかき回すような手つきも許していた。半年前に刻み捨てることでモノ自体を取り戻した感覚はあった。あれと似ていないこともない。
母親が実家の箪笥から取り出した父方の家紋はこちらが見つけたものとまるで異なっていて、オルタナティブというより田舎者が水野を見よう見まねで繕った風に眺められ、でもそうなのかと納得。図が牧歌的で好戦的でないのが救いと感じた。抱き沢瀉というより重ね併置沢瀉。ネット上の家紋図鑑には掲載がない。因に母方は橘。
ライオンに慣れるに時間がかかりそう。bookpro13よりもairのほうがモニター解像度が高いのでちと微妙な気分で仕事の割当完了。
Japanese for Beginners / Near the Parenthesis CD
新訳 ピノッキオの冒険 (角川文庫) / カルロ・コッローディ(1826~1890) / 大岡玲 (1958~) 訳