欧州へ旅立った長女が自分のデジカメが壊れたので勝手に次女のものを持っていってしまった。三日後には修学旅行でマレーシアに行く次女が泣くので仕方なくGEの格安デジカメを注文。娘たちの旅に幸あれ。
アラジンの芯がヘタレたので掃除と簡単なメンテナンスをする。ストーブに頼るほどでもない気温が気にならない夜が数日続いたが朝カーテンを開けるとうっすらまた雪が降り、焚火の中にいるような濃霧で視界が霞む中私用があって信濃町まで車を走らせる。飯綱、黒姫、妙高と続くその裾野縁を北上して走る国道はジュラルミンのトラックが唸るように走りあるいは家から十キロも離れれば国道沿いにあるコンビニに幾台も仮眠停車しているが、家自体が地方の動脈産業道路からは外れた場所であるのでまるで別のシステムの社会に降りてきた者の顔つきとなり、不思議な気持ちでコンビニの店員とトラック運転手を眺めるのだった。
他者に読ませるつもりはなかった自分自身へという備忘録というより思考の記録を正直に行ったとされるマルクス・アウレリウス (121~180)の自省録 / 神谷美恵子 (1912~1979)訳 / 岩波文庫を書棚からほぼ20年ぶりに取り出して湯槽で捲りはじめると、今回はむしろクラシックの楽曲を演奏する音楽家のような出で立ちで翻訳家の端正がまず伝わる。訳者の素性(ハンセン病に生涯を捧げた精神科医でもある)に気質的にどこか似た同世代の作家が浮かんだが、神谷美恵子の著作を捲ろうと調べる。そもそも自省碌に促されて1990年より制作ノートという手記をはじめているから思えばこうしたログもこちらにとってはそのような位置づけであることは変わらない。
頑なで只管な単一没頭は閉塞しか呼び込まないので一日を分割し軀の使い方の異なるデスクワークと制作と読書などに割り振ったお陰でそれぞれの反復感は瑞々しいが街に下る時間が失せ、野菜もすべてなくなった。