雪擁山堂樹影深
憺鈴不動夜沈沈
閑収乱帙思疑義
一穂青灯万古心

冬夜読書 菅茶山 (1748~1827)

車で十分ほど南に下った村里に住まう叔父宅へ用事をいいつかって出向くと叔母が昼を食べていきなさいと大変なご馳走をふるまってくれた。こちらにとってはご馳走だが叔父夫婦にとっては平常のメニューのようでこれは文化だと思うのだった。母親の生家の近くなので市に合併統合されるまえは雪深い山村であって幼少の記憶も多く刻まれている場所だが標高のせいか地形の斜面の方角が東向きと南向きの違いなのか飯綱川上と比較すると積雪も少なく陽光が広がるように照って随分と柔らかい。人が寄り添って長い年月住まう場所の理を知る。そうか西日の残照の陰となる川上では以北と同様の気象の現れとなると頷きながら昼飯を食す。家犬のエルはこちらを知っていて走り込むように飛びつき素足の先から指から顔面やらまでおかまいなしに嘗めるが季節柄毛の抜け替わりの時期でもあり気づけばエルの抜けた毛にまみれていた。お土産に*手作りの食材を沢山いただき感謝。吉鉄スノーダンプという雪かき用のパワーシャベルを教えて貰う。(*去年つくったものを瓶詰冷凍保存した野蒜は夜ウヰスキーを呷りながら空にしてしまったほどの絶品)

途中の栄峰という場所のこれまで数年越しに撮影を反復している小道は冬期使われていないので小山のような雪の中に太腿まで足を突っ込み進んでカメラを向けた。帰り道の車内で撮影というのはなにもしたことにならない機器の範疇で現像という関わりにはじまる見つめが問題よのうと声を出す。以前どこかで撮影指導を言及していた男の文章が浮かび彼は確かレンズと絞りの選択とロケーションとの出会いの偶然性あるいは必然性(どちらでもいいが)を神話のごとく熱弁記述していたが、あいつは阿呆だなどと加えた。同様の印象は最近は例えば90年はじめに傾倒してすべての作品を漁るように目の中に入れていたある種獰猛な荒木経惟とか観念をゴリ惜しする杉本博司とかにも広がりつつあり彼らはある意味でこちらの中では終わり、ボードリヤール (1929~2007)の消滅の技法あたりの幼児性に似た眼差しが変哲の無い光景の現像に寄り添いつつ馬鹿馬鹿しいほど首を傾げて継続するだけでいいと判ってきた。

今朝は朝から二度テラスの雪かきをしたがまたすでにテラスが雪で覆われたことが嬉しいのだよ。