もともとエモーショナルというアプローチ、考え方が気に入らない。最近は目利きもそれなりに備わったので、匂い立つ情動には、発作的にぷいと顔を背けているようだ。
繊細なもてなしをストレスと喜びの天秤にかけるお客様相手の社会に生きてこなかったせいだから仕方ない。
だが、ふと気を許すと、感情的な情動が隣に座り込む。うるせえと怒鳴るわけではないが、もうあやしつける子供じゃねえんだから放っておいてもらいたい。と、席を立つ。
別に親に言っているわけではない。

生きた経緯が「脱構築」流行りの時代だったから、駆け抜けたにしろ、その解体遭遇という対象把握の癖はどこかに残っているようで、「行為の本当の意図は行為者自身にしかわからない」という前提があるにもかかわらず「相手の行為の意味がわかるのはなぜか」と問うことなどから生じる感覚の正体が、「行為の本当の意図は行為者自身にしかわからない」という前提のほうがむしろ誤りであったことが指摘されていくことになるエスノメソドロジーの淡々とした記述法、研究検証手法の、また古いページを捲って、思わず、日本語学習のエスノメソドロジー / 杉原由美著 をアマクリしている自分に少々呆れたが、同じような呆れ方を半ば確信犯のように反芻し、「ダツジョードー」とお経の声にだし、検証に力を込める。

並べられたものから、平等に同様な印象がわき上がるというのは根も葉もない嘘であり錯覚にすぎない。むしろ知覚化の差異に怯え(オレはこう見えたが、他のヤツにははどう見えてるんだ)違和感に苦しむのが、個体の健康な知覚ならば当たり前なのであるから、せいぜい、それを踏まえて、氷の横に炎とか、その横には注釈をとかいった配置の土壷の罠に気をつける、罠を都度掘り起こして解体する知性のある獣となって、時々横を向かねばならない気概は、青年ならばいたって健全な振る舞いとして漲る精神と身体に相応に収まるが、年齢を重ねてそれを持続させる時、卑しさを恥じるように奥歯を食いしばって寡黙にならざるを得ないのは、未熟不徳の示すところなり。

「写真論 -脱情動-」という、思想態度を更に明晰にする企画構想をはじめる。

Testament Paris LONDON (2009) / Keith Jarrett (1945~) / CD 音が抜群に良い。
ESKMO (ZENCD161) / ESKMO / CD