画像引用先:http://www.hirotaya.co.jp/shopping/art/Detail/7386.html / 広田屋

結局火曜日から食事を摂らず検査が続き週末の退院も取りやめとなって、土曜日の夜にようやく流動食だが食事が出て、献立をこの目でみると付き添った母親は、お父さんは半分は食べたみたいと呟いた。息子と父親は食事の前に車椅子や点滴の患者らの座る談話室で、日馬富士が白鵬を打ち負かす相撲をおぅと声を出して眺めた。

相部屋の病室には居る場所も余計な椅子もないので、階段を降りて週末夕方の消灯された病院のロビーに座り、正面にあった西沢今朝夷(1929~)氏の大きな水彩画を眺めていた。青年の頃コンクールで幾度か指導の言葉をかけられたことのある、長野では数少ない本物の画家のひとりだが、「軽井沢湯川風景」題された水彩画にしては巨大な作品に近寄って、成熟の画家の技芸というよりも達観をその筆の運びや色彩の重ねから、薬を飲み干すような鮮やかさで全身に受け止めていた。(上記添付画像作品ではない)ただ只管に湯川風景が、ああ、あの樹々の向こうにほんの少し臨める遠い山の稜線への空間の距離を画家は感じている。画面を横断する木の橋の上に生えた草の儚いけれども緑色の反射を、目を細めて眺めているこちらが画家のそれと重なる気がした。たっぷりと大きな筆の繊細な色彩の重なりと自然な滲みの輪郭のぶれのようなものが、セザンヌと同じ感触で大気のボリュームを膨らませて揺れるのだった。

絵画ということの弁えを知る天性の才能は作品画面に率直に現れるので、その本物と偽物の区別は割とはっきりと判断できるものだが、そういうことよりも、この病院という場所で、画家の風景という空間が揺れるということが、成程、健やかさを大小喪失した人々にとっては、癒しというより救済の空間になる。亡くなった叔父が近所の雪景色の写真を持って入院したことなど思いだした。この病院には、他にも幾つかの油絵などもあるが、いずれも拙いので見るに耐えない。西沢氏の作品が正面にあることがそういうことの証となっている。病の素人ほどそういった見極めがはっきりとつくのではなどと根拠も無く思った。

病の弁えをどのように得るかは、当事者でなければわからない。一度は祖母の元へと考えたという淵に確かに立ったことのある母親の弁えは、あの時毎日通ってくれた伴侶への返礼にも似た懸命さが溢れて止まらない。些細な気がかりを理由に日に何度も往復する運転をしながら、その懸命さが過剰となって家族という枠を超えていると思うけれども、息子は黙ってその懸命さを見守ることにした。

がんを小さくしていく正しい知識と向き合い方 / 菊池学(アマクリ)