免許証の住所変更を行ってから銀行へ行き、さまざまな種類の書類を書き、幾度も印鑑を押して、ようやく新しい郵便番号と住所と電話番号を覚える。印鑑も質のよいものがよろしいのだと初めて理解する。
安物はつるっと滑る。口座開設も同時に行い、個人と業務関連とふたつ開設し、どちらもネットバンキングの申込みとしたので、気づけば3時間ほどが経過していた。こうした手続きの日であったので、父親の病室へは妹に行ってもらっていたので、とりあえず夕方に一度退院することになった。夜に外科と内科の医師たちによる治療方針の会議は家族を呼ばずに行われ以降の治療が決定するらしい。という内容の報告メールが届いた。
勝どきのオフィスの片付けと引っ越し見積もりの担当者を週末に呼んであるので東京に戻り、さくっと箱詰めを行って戻り、実家での仮の仕事場の箱詰めを行ってから、現地にて回線工事をし、再び戻って荷を運ぶ。と大まかなスパンのスケジュールを組む。
先週は付添いもあり慌ただしくて予約を先送りにしていた母親を、歯医者まで送り治療が終わるまで電気店で冷蔵庫を選ぶ。近くにコンビニやスーパーなど無い場所だから、食料を蓄える必要があるので、現在のオフィス仕様の小型のものでは対応がむつかしいと考えた。多忙を極めるのはこちらだけではないのだが、支え合い工夫を重ねなんとか乗り切ろうと都度小さく声を掛け合っていれば、なんとかなるという気持になれるものだ。
夕食はアンデルセンにて食事会に招待されていたので、夕方飯綱湖、大座法師池周辺を歩いてから訪れて、なかなか簡単に口にできない骨付きラムステーキのコース料理を振る舞われ、開発メンバー皆で感謝していただく。暗くなってからは雷雨となったが、よい時期に士気を高める意味も加わった。
帰宅後、父親の治療方針決定会議で、腫瘍摘出術可能という報告が担当内科医から届き、8/24に手術を行うので8/5よりエコー検査などをはじめるという明るい報告を受け、雷雨の中ワイパーでフロントガラスの飛沫を拭うより鮮明な展望が目の前に広がる。部位的に発見が遅いと手遅れになることが多いので、この結果を家族で大いに喜び、できることをすると皆で楽観を戒め、食事メニューを検討し徹底して塩と脂を断つということを認識共有する。
夜遅くクッキーの散歩がてら歩く音のする携帯からはるなの心配声が届き、妻の母親の妹の夫(叔父)が昨日亡くなったと連絡があり、脳溢血で病床に臥した日々があったが、どこかこちらと通じる気風の良い人だっただけにひどく残念な気持ちが広がった。おじいちゃんはどうなの。だいじょうぶなの。とこの報告と同じ色合いの声で尋ねるので、手術できるみたいだと、治癒の可能性を示唆すると娘は、よかった。とあからさまに喜んだ。