予感に動かされたわけではない。予知があったわけでもないが、叔父の死の前日に呼び戻され、転居決定後の昨夜、唐突なタイミングで父親の膵癌の告知があったことまで、この二ヶ月ほどの意識の流れを遠く外側から誰かが静かに眺めているような気分はする。

まだ若い女性の内科医から残念ですと母親とふたりで座る前に声をまっすぐに投げられ、CT、MRI、内視鏡の検査画像を指摘しながら手元で丁寧な図を描いていただいたものを俯きながらみつめる母親の横顔を眺めようとは思わなかった。胆管の詰まりは、圧迫していた膵臓の悪性腫瘍のものと診断され、肝臓の異常値を出した処置は、圧迫された胆管からバイパス管を置いて機能修復を行ったので、血液検査によって値の快復が認められれば退院はできる。三日後に行われる外科医と内科医の、悪性腫瘍と若干の転移に関する治療方針会議によって促される、「よりよい」療法の指導を待って、年齢と体力を考慮した、根治摘出手術を敢行するか、従来型の投薬、放射線治療とするか、あるいはまた、最近効果が指摘されている、NK細胞治療、樹状細胞ワクチン療法を行うかなどを家族で決めることになる。

転移の状態は、肝臓まで到達していないものの、付近のリンパ節にはあるらしい。遠隔転移はなさそうだが、詳細はまだわからない。なかなか発見しにくいとされる膵癌であったけれども早期にみつけることはできた。肝臓には転移していないですと、若干の希望的観測を語尾ににじませた女医先生の気配に、こちらも祈りを加えるしかない。検査前にひそひそと話し込んだ娘と息子は想定に加えた気持ちも準備もあったが、母親はまさかと思っても見なかった展開に対する動転があり、感情的にも混乱した。子供たちは宥めるというより工夫を重ねていこうと声をかけることしかできなかったが、やはり本人への告知は医師からよりも家族から話そうと、内視鏡検査が長引いて全身麻酔で目を覚まさなかった父親のベッドへ早朝出向いて仔細をそのまま説明した。夜中嘔吐した衣服を着替えた父親にひげ剃りと新聞を渡してから、母親は昼には食事ができるからそれまで付き添うと言って、子供たちを帰した。

昨今、癌など誰でも罹る病気であるし、ふた親とも癌ということだから、状況的にはオレたち自身も目の届くところで想定しなければなと短く話しながら妹と別れ、計画通り引っ越す為の段ボール箱を発注し、ともかく荷造りを進め、この仕事場を両親の看護も含めた寝室へ早々に作り替えなくてはと、予定通りだがいささか責任の重さとどうしようもない哀しみがふりかかった作業をはじめる。