ギブアンドテイクという合理的な交換の響きには、相変わらず乾いた感触がある。昨今の所有の物欲を刺激する製品開発と販売にも、即効的な怒濤のゴリ押し感が溢れ、地デジ対応の液晶モニター購入に駆けつける人々の顔付には、仕組みが変わるから仕方がないという斜線をひいた諦めよりも、溺れる者が舟にしがみつく必死さが現れる。同じような表情は製品の差別化をこれも死にもの狂いで休むこともせずに奔走する開発者にも宿るのではないか。どこかノスタルジックなこの表情が、だがこの国を牽引してここまできたわけだ。けれども、これでは、例えば真に健やかな意味で人が集う街並や、公園といった、次世代への遺産としての共同体環境をつくれるとは思えない。「間違っているとしても今はこれで走る」という思考破綻は、私の身のまわりで目に見えるレヴェルで、例えば渡り鳥の尻の穴からのぞくレジ袋のような悲惨さで、何事も無いような頻度で起きている。管轄は大人の部類に入る。青年や若者はむしろずっと整然とした正当性を大小に弁えて備えているが、いつ起きるかわからない地震に小さく怯えつつ走り抜けてきた壮年の大人のほうが破綻を抱えたまま途方に暮れているような気がする。悲劇に慣れると喜劇に転化し、それにも飽きると只管な無視と無関心が広がり、いつしか善と悪が感情の中解け合うこともある。壮年から老年の憤怒の表情というものはそういう成り立ちをしているとも考えられる。
わたしは一体あの頃、誰の為に何をつくろうとしていたのか。なにを考えようとしていた。幾度も振り返ったのは年齢を重ねる前の所帯を持つ頃だった。請け負い業務をはじめた時に、未熟な若い頭で、パーソナルデザインという個別対応する、デザインの元来の意味性とは些か矛盾する名称を自らの仕事に与えた時にも、グローバルな普遍と集団合意をそこで展開するよりも、事象事象への個別対峙がまず先だと考えた。それは今でも変わらない。あなたのためにおこなうという姿勢を律したつもりだったが、今思えば、サラリーマンが新橋で酒を飲むような位置感での、表向きとは裏腹であるかもしれなかった対局の、あるいは夜の帳の時間で、白い画布や抽象を放つ空間を愚弄妄想して気を揺らす時には、自ら死人となったような心地で、対象の絶えた無人の地獄で、誰もいないことに悦ぶ悪意(エゴ)のようなものにも染まっていた。
夜中の狂気が朝方の光ではっと覚醒を取り戻し、逆立った髪の毛に頭から水をかけて肝を鎮める気分は、そういった酷く個人的な所作の産物に金を出す人がいて、金を受け取り作品を渡す時にも、消化不良の胃袋を押さえながら感じたものだった。そしてその人に向かって、「それをどうするつもりだ」と本当はいちいち尋ねたかった。
dedicate は、献身という意味合いが強いけれども、捧げるという日本語には、どこか見返りを求めるような誤解がつきまとう。そのどちらでもない、「与え」となると、両親が子にするような立場的な力学が発生する。プレゼントという意味に近いような気もするが、そこには対象を焦点に偏る送り手の所作の喪失感がある。
斧や刃をインゴットから切り出して鍛錬し、磨き上げる職人の、時間をかけて身体に刻んだオリジナルスタンスがあり、例えば寿司職人等は、そうした自分だけの柳包丁をこしらえてくれる職人のものを一生かかって研いでは変形する迄使い切る。
つまり早い話、dedicate to の後に繋げるべきは、固有名でしかないということ。その存在の重さにはかって足りる仕事をしなければ意味がないということになる。