御飯岳と書いて「おめしだけ」と読む。志賀高原と菅平の間、長野と群馬の県境に連なる山の一つである。標高2160メートル。立派な高さなのだが、里から望むとうねる山稜(さんりょう)に紛れ込み、山に詳しい人でないと見分けるのは難しい
◆御飯岳を含む一帯が上信越高原国立公園の特別保護地区に新しく指定された。17日付である。絶滅危惧種のイヌワシ、クマタカをはじめ貴重な生物が生息している、との理由である。指定を機に、広く知られるようになればうれしい
◆登るにはなかなか面倒な山である。数年前挑戦してみた。登山口の毛無峠までは車で簡単に行けるのに、山頂に至る稜線(りょうせん)は胸まで没するササに覆われている。とても手に負えない。翌年、ササが残雪に埋もれている時季を見計らって念願の登頂を果たした
◆意外に人臭い山でもある。群馬県側に少し下ると小串鉱山の跡がある。国内屈指の硫黄鉱山として1970年代まで操業を続けた。いま訪ねると、さびついた索道や社宅、学校の跡地が寂寥(せきりょう)感をかき立てる
◆御飯岳は清水英一さんの信州百名山に選ばれている。清水さんはこの山を巨鯨になぞらえ「その名の面白さからもいつかは登ってみたい山の一つであった」と書いている。眺めのいい破風岳、ササに覆われた静かな土鍋(どなべ)山…。抜きんでたピークはないけれど、全体として野性味あふれた魅力的な山域である。
ー 信濃毎日新聞 / 斜面抜粋引用

中学・高校の頃から所帯を持つまで良く目を通した新聞も最近は手にとらなくなったが、父親も母親も変わらずに三社ほどを毎日捲っているようで、片付けられた食卓にたたんであったものを捲ると、23日付の信毎の斜面の記事が、mahaloの程度によろしい案配だったので、全文引用。連日のこの枠記事のすべてがよろしいわけではない。それに今回のものも、歩みと辿りの視線が救いだが雑駁な感は拭えない。場所に対する説明が鷹揚であることは、どこか記述枠のポリシーと姿勢が足りない。人棄て、姨捨などとの関係から、地勢的な「お召し」を妄想追求する緩さとヤンチャさもほしい。こうしたジャーナリズムの匿名も気にいらず。念願の登頂を果たしたお前は誰だ。
小諸の妻殺害裁判(容疑者82歳。被害者連れ添いの妻78歳 / 事件当時)の顛末記事を辿り、記事にできない行間に伏せられたことなどを考える。食卓にとりついた何気ない短い時間が、最近の煮詰まって鍋底にこびりついた時間の癒しとなる。

十日ほどで済むと安易に考えていたアップグレードアプリ学習を兼ねたデータ整理を伴ったウェブ開発が、それほど簡単ではない。二週間経過していることに少々焦りつつある。娘のコンサートも説明と謝罪の電話でキャンセルし、長女に勝ちどきオフィスまで用事を頼み、移動せずにデスクの横のノートに箇条書きしたスケジュールの増え続けるスレッドに遅々と斜を引きつつ、寝て起きればそれぞれ展開の工夫も加える必要に気づき、個人的なロケ計画もオアズケのまま、いよいよ年末という印でもある天皇誕生日の祝日になっても、机から離れられない。が、ようやくとりあえず見通しはできた。

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若い頃、カットトレースして呆れる程繰り返し観た、Popioł i diament / Ashes and Diamonds (1958) / limestone を憶いだした。Andrzej Wajdaの、爺になっても変わらぬ「現実」への目。「憤怒」と静謐のセンスは、現代の新しい記憶となる。