042409.jpg
Planar T*1.4/50mm / 1DsMarkIII / ISO50,f2.5,-2/3(exposure conpensation),1/80sec

中年の夫婦や若いカップルが気軽な格好で、社の手前には随分雪の残る往路4kmの奥社参道をすれ違う人に向かって挨拶をしながら歩んでいたが、こちらからはなかなか快活な挨拶が出来ない。午後から雲行きが怪しい、日中は気温の上昇が東京より上回るという予報を聴いて、思うこともありレンズのテストを兼ねて車に機器を積み戸隠へ走らせる。

昨日は雨の降る新潟新井迄高速を走り、父親と一緒に母親の買い物に付き合っていた。帰りは野尻湖ホテルにてランチを摂り、ナウマン象を観て戻るドライブを、撮影をしながら計120kmほどの走行距離を半日で終えた。帰宅すると注文したレンズが届いており、保護フィルターレンズを買いに出かけてから、数枚のテストをすると、フォーカスが若干前ピンだが、ピントをマニュアルで決定する眼差しの強さが求められるので、フィルムカメラを使うような懐かしさがある。夜は妹から薦められ借りた「告白」/ 湊かなえ(1973~)を読みはじめる。

丁度24日が開園となった戸隠森林植物園で、純潔と卑猥が同居している満開の水芭蕉の群生を撮影し、奥社には絞り込んでシャッターを切ろうとジッツオをぶら下げて歩き出してしまい途中汗が噴き出し息があがる。60過ぎ迄身体を使って働く人の鍛えられた肉などを夢想しながら歩きつつ自分の貧弱怠惰な身体に、歩くほどに滅入っていく。境内はほとんどが雪に覆われた社で家族の息災を祈って賽銭を投げ入れ手を合わせた。九頭竜の社にも同じように家族分の賽銭を放り手を打って合わせる。今年は丑年と未年の六年毎に行われる戸隠神社の式年大祭であり、宝光社から中社までの道が飾られ、中社では毎日太々神楽特別祈祷が行われているという。参道をゆっくり歩いて戻ると丁度昼となり中社でざる蕎麦を喰う。バードラインから逸れた定点撮影している場所に立ち寄ってから迂回して車を止めた飯綱の水芭蕉の群生地も満開であり、例年はGW頃ではないかと、気象の気まぐれな変化で狂い咲く白い袖から突き立てられた幾つもの指を暫くぼうっと眺めてから座り込んで撮影する。腰を上げる度に漏れる自分の喘ぎが水芭蕉の花弁の中に吸い取られるようで情けなくもあり忌々しい。髭を剃ってくればよかったなどと頓珍漢が浮かんで消えた。この場所は1993年の5月にPentax 67で撮影している。16年ぶりの撮影となる。当時よりも観光用に整えられ、野生の群生の趣が減退している。

27ヶ月使用していた携帯の機種変更を行うが、左手に馴染んだインターフェイス操作の微妙な差異になかなか慣れない。週末は雨の予報、水着を持参したのでプール(か?)。


Planar T*1.4/50mmのテスト画像を現像すると、一言でいえば50mm F1.4 EX DG HSMよりも柔らかい。ピントリングの感触もしっかりとしていて、反射的な速写はむつかしいが、じっくりと光量調整を試すには非常に有効なレンズ。人物などにかなり効果があると思われる。ボディーのフォーカスセンサーが反応するので、ファインダーの像と、フォーカス反応のレヴェルを、光景によって見極める力が必要。これまでいかにAFに安易に依存していたかを痛感する。甘い画像を検証し、50mm F1.4 EX DG HSMもマニュアルで使うべきと戒める。光の足りない環境で解放を使うのは、都度画像拡大チェックをしないと危険。カメラボディーの測光設定をスポットにして解放撮影すると、被写体如何で輪郭が白く滲むので、現像で可変出来る露出のレヴェルよりも評価測光などと組み合わせるほうが重要。ボディー設定が如実にレンズに顕われる。
このレンズのお陰というわけではないが、自身の撮影の思想というものの輪郭が明晰になってきた。

サーバーダイエットの為、photo logを移動。

042609-book.jpg
トオヌップ / 小栗昌子(1972~) / amazon
転回点を求めて-1960年代の研究- / 富永茂樹編 / amazon
Mobile pico projector
MicroSDHC 8GB Class4