四年前の秋に制作した、薪を割って再構成するインスタレーションオブジェの創作の手元を、柔らかい筆にたぐり寄せ、同じことだなとひとりごちる。いずれも繰り返されることで達する円熟、見極めの足りなさがあって、だからといって伸う伸うとそれを許す暮らしが無いと言えばそれまでだ。ただ時間を置いて、同じ取り組みをする時、幾度も繰り返さなかったにも関わらず、ふっと達者な目付きは生まれる。(生まれてしまう)
 幸せに続く牛の咀嚼の如く悠々自適な創作の営みというものはあるわけがないだろうが、気侭に切り詰めるような案配で、目前の自責を嗜めるような折衝は、それでも淡々と波乱と問いに充ちている。陽の昇りが早まって睡りを訝る意味での春眠があり、その割にはまた雪降りの、明るく寒い春が新緑へ変るまで、飽きもせず愚鈍反復をしてみようか。