二週間遅れて出力をはじめる。
2008年の路眼という丁度半世紀の生の纏めを五年過ぎて振り返ると箱から溢れるような整理不足をやたらに力が入って併置していることが判る。これは切り捨てたい筈の関係や論理といった裏筋が乱暴な仕草によって幻影化する場合もある証左であり、矢張り時間を繰り並べて日ごとのルーチンへ沈着する醗酵が必然だったか。無関係の併置とは元来自然がそうであるので注視やら知覚レセプターの拡張とかを目論む時点で併置の併置たるの健やかさが遠のく。「最後の形」をつくづく仕舞わねばならない。さてこれは欲望とかではないよな。