久しぶりに最近の映画事情をとアップルトレーラーを眺めるとなんだか浅ましいタイトルばかりで辟易する。

コッポラやキューブリックの娯楽の名を借りた勇敢さがあればまだいいが、興行的に成功させることを至上目的とするつまらなさはまるで一過的な台風のごときで遺伝子に刻まれるように遺るものは稀少。若い監督に詩的教養の不足ビジョンと思想の欠落を大いに感じる。

流れの速い川辺の上流から流れてくる葉や枝を拾ってまた流すような日々の享受にはどこか虚ろな目つきで座る人の川面情報から照り返された実感の失せた無関心が基本にあるようで、流れ去る事ごとを即座に忘却する事に長けてはいるが立ち上がり拾い上げたもので何かをつくる者の姿はあまり多くはない。

詩ということを人間的な手探りと位置づけ検証的な姿勢をメソド化する錯誤の中で、物語と詩との連携あるいは併置ということがあり、どちらも発声音声のフィジカルな反復によるべしとこちらは傾いている。切り取られた光景を同じようなこととして扱うにはリヒターではなくディコルシアに近いものとなる予感がまだ持続してあるが実現できるか。

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