外を巡った後Ai Nikkor 1.2s/50/5Dレンズ性能を確認したかったのでカメラを下げてシャッターを切る。

気温は若干上がり積雪は溶けて重くなりこの辺りの大気の状態も飽和したようで昼に近づいて一層白い霞がかかった。なかなか出会うことができない鹿のことを考えたか、枝を見上げて枝角を思ったか、どちらが先かわからないが、鹿の角など考え込むと困ったことになると朽ちた人工物へ視線をズラした途端、父親が、シカやんと呼ばれていたなと憶いだす。名前の最初と最後を結んだだけの同僚が呼んでいた愛称だが今この時に浮かぶことがまた困ったような気分に舞い戻る。部屋に戻って気象の予報を調べると先一週間はまた寒くなり雪も降る。

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母親の葬儀後のあれこれを妹が助け、年金やら銀行やら名義変更やらあれこれを、いちいち印鑑証明から戸籍謄本を揃えて提出し世帯主の変更へと手続きを行い、ようやく弔辞などのお礼状送付までこぎつけた。もう大変で。忙しない振り回されや自宅へ線香をあげに来ていただく弔問客もまだいる状態が、こちらからすれば母親の喪失感を紛らわす状況であるからまだいい。春先の四十九日後あたりの途方に暮れるだろう哀しみのぶり返し、否実質的な到来に対して、息子はできることはあるかなどと考えつつ実家のシンクに立ち片付けをしつつ夕食の用意をする。

妹とその夫の義弟は葬儀後連日ではなかったにしろ実家にて夕食を共にしてくれたお陰で母親も家族総動員の事態を引きずることがまだできている。嫁にいった娘も放蕩の息子も時間があるわけではないのでどこかにぽっかりと手の届かぬ時が生まれるから連絡を密にしてなるべく残された母親のこれからを共に考える姿勢を崩すわけにはいかない。

母親は父親の着物をお前が着なさいとどっさり袋に入れて持って行けと言う。それは寸法が無理だと一度断ったものを、お前が駄目なら棄てるしかないのよと言われたのでわざわざ身につけてみるとジーンズが丈が短いけれどもはけたのだった。