生前の義弟実家の法要などに呼ばれた縁と故人の希望から在家仏教浄土真宗大谷派明行寺ご住職より法名を誓授し、以降葬祭供養の一切をその寺に任せる檀家となるべく葬式の翌日に母親と寺に伺った。

まだなんとか軀も健全を保ち性格的にも仕切りを行う意気地が漲っている母親が喪主となって通夜から葬式を行う。事情から一日を置いた12日を通夜とした。前日は妹とふたりの姪が一晩父親の脇で寝た。普段着で駆けつけ持ってきていなかった娘らの服が宅急便で届いてから、東京から来た妻と合流し着替えさせている間、昼過ぎに車のマッドガード取り付けの予約日だったことに気づきあわててディーラーに行く。夕方5時からの席が片付けられた後家族を帰しどうしてもという次女とふたりで遺体の横に布団を並べた。約40分で灰になる線香の火を絶やさないようにという通夜の夜であったが深夜二度ほど煙のなくなった部屋に気づいて目覚め慌てて火をつけていた。次女は内側からの発熱をやめてしまった祖父の額や頬を撫でて髭が伸びていると呟いた。こちらも明日になれば骨ばかりになる軀だからと父親の撮影をした。早朝外へ朝食を摂りにでかけ戻ってから通夜の会場に備えられている風呂に次女と交互に入って軀を暖め喪服に着替えていると担当の方が来て納棺の準備をはじめる。

親戚の男性方の力を借りて軀を棺に移し愛用の書籍衣服や最期の書に花を加え蓋をして母親が位牌を持ち妹が遺影を抱きわたしがまだ軽い骨箱を持って母親のみ霊柩車に乗り、大峰山の斎場まで親戚の方々とマイクロバスで出棺する。途中実家を回ると路地の角に大勢の近隣の方々が並び立ち手を合わせてくれた。12時すぎに骨を拾い、わたしが思わず骨の欠片をポケットに入れると孫たちも真似てまだ酷く熱い骨の欠片を手の平に隠し持った。誰も何もいわなかった。後になって頭のあたりがいいとか顎がいいとか漏らす娘たちに喪主である母親には黙っているように釘をさした。

葬儀会場に戻って葬式を行う。中嶋くん、ゲンタ、ルイちゃん、オサメ、イケダ夫婦、ヤマモト、カトウ、モリヤくん、木村先生なども来てくれて感激する。後で芳名をみると中学、高校と友だちだった柄沢祥一郎も来てくれたがわからなかった。鼻水がだらだらと節操なく流れた。オサメは通夜から来てくれ一緒に寿司を喰った。大勢の方々に参列していただき父親の多くの方に愛された人間力を思い知ったのだった。
前日の通夜では酒を呑み続けたがお斎の席では酒を控えた。市内のホテルに部屋をとった妻と娘たちを送って着替えさせ、東京に戻る妻を夕方の新幹線で見送りまだ滞在を希望する娘たちを連れて実家に戻り床の間につくられた祭壇に線香をあげ手を合わせ札幌の叔父と妹家族と深夜まで妹の土産のハンガリーワインなど4本ほどを空ける。
深夜まで片付けをしてから早朝雪の中山に戻り着替えてから下り朝食の支度して叔父を見送り母親と東急で買い物をしてお寺に回り、昼は買ったパンを並べ皆でゆっくりと食事をして母親と妹が葬儀の事後処理を行い、娘たちは炬燵で宿題などをする。普段の光景の中皆がふいに父親が声をかけてきそうな気配を感じていた。夕方には三人で山に戻り、途中アンデルセンに伺い、夕食は里奈がおいしいホワイトブイヨンシチューをこしらえてくれた。10時には眠ってしまったのだろうか。早朝5時すぎに目覚める。