通夜と葬儀の式場に置く遺影を選ぶことはなかった。担当の方と写真の話しをした時にすでに浮かんでいたものにしたが、今の季節を考えて新緑の季節のグリーンをやや青めに調整した。

親戚の方々に手伝っていただき、普段通りの冗談も交えて霊安室から式場まで遺体を運び込む夕方まで、車で移動しあるいは買い物にでかけた。生前亡き父は葬儀の手伝いをしていた時期があり、その関係の知古の方の嗚咽で家族の乾いていた涙が堰を切って溢れた。孫娘は許しを得て祖父の化粧をし、ほら笑っているよと穏やかな表情を皆で囲んだ。

逝った日の夜は深夜手前まで通夜や葬儀の打ち合わせなどで義弟一家も来てくれて母親を喪主としたあれこれの取り決めを行い、十時をすぎてからレストランにでかけて遅い夕食を皆で摂り、ふたりの娘を乗せて山へ戻ると午前零時を過ぎていた。娘らは3時すぎまで酒のお供をしてくれて一緒に唄などもうたった。風呂に入ってベッドに入った娘らが眠りについたのを確認してから片付けをして洗濯等もしてしまおうと二度洗濯機を回して干し、風呂に入って何かが壊れたようになり号泣する。5時前にベッドに入ると娘はまだ起きており、昼過ぎに泣いちゃったよと告白すると、泣いてたねと娘は返した。

夕方から雪が激しくなり、通夜まで線香を絶やさない番を妹に頼んで母親を送り届け、夕食の買い物をして山に戻ると鍵がない。慌てて雪の中家の窓を調べるが全てロックされており、実家に忘れたので戻るしかないと諦めて座った運転席の横のポーチの中にみつかり、娘らにつっこまれながらほっとして皆で鍋の支度をはじめた。亡くなった人間の息子が通夜や葬儀の席で立ち上がりカメラを構えて歩き回ることを線香をあげる他者の目で想像すると狂気以外浮かばないので、通夜のはじまる前に父親の表情だけ撮影して後は寡黙に停止していようと決めた。