早朝父親の意識が無いという妹の電話で車を走らせ実家の母親を同乗させて慌てて病院へ行くと、呼吸器をつけたほうがいいと医師より指摘され即座にそれに同意し、顔色の変わった反応の無い父親の胸の自立呼吸だけをみてまだ大丈夫とひとりで混乱を戒めた。家族を呼んだほうがよいという加えられた指示に従って娘らに連絡し、次女の高校にその旨を伝えとにかく新幹線に乗れと伝えた時は、まだ漫然と経過する快復期の途上の気持ちがあった。病室に姪が持ち込んだ宿題を手伝って、だが時折父親の瞼の底の瞳が動かない様子にひとしきり不安が膨れたけれども呼吸はしているとこれもまたひとりで戒めた。
肉親が亡くなることを事前に透明に想定できる人間がいるのだろうか。幾度も悪夢の中で同じことを辿ったけれどもそれは想定ではない。
次女が長女よりも一時間早く駅に着いたので迎えにいって、長女は一時間後だから母親が付き添い宿泊する準備もあるから、乗せていってと迎えの時間に合わせ、じゃあ里奈を迎える一緒の車で駅まで行って、その足で家まで戻って準備しようと走らせた車の中に、自立呼吸が停止したのですぐ戻れと妹からの電話があってUターンし、病院まであと少しのところで再度逝ってしまったと電話があった。
死に目にあえなかったじゃないと叫んだヒステリックな母親を降ろし、こちらは駐車場に車を回して停車してまあるい月を見上げていた。この時、どうして涙がでないのかと思った。