配達で起こされてから風呂に入って届いたものを湯槽の中で捲る。咳の中幾度か繰り返したことを明晰なものにしたいのでノートを広げて線を引いてから、辞書をひらく。温まった軀と多分睡眠の不足で昼下がりの気怠い眠気が額から瞼、顎へ滴ってカウチに横になる。少しは眠ったのか。徐々に部屋に残っている冷気で落ちた眠気も凍ってしまい窓の外を眺めていることに気づく。

公私問わず異常な大変な年だった。多分この抱えてしまったリスクに対応する困難さはさまざまな立場であっても今後倍増する。検証は詳細へ徹底へとつくづく向かい、役割の責任はスタンスを問わず拡大する。快楽主義的な進化主義は終焉となり罪を背負う自覚者が率先して贖う共同体をこしらえるしかない。自らの記述を振り返ってみると十年ほど前から予感している。リスクの都合差異大小による衝突は増加するが、この構造の属性としてのささやかな救いは、立場やスタンスや利害に対して跳躍的な視線を誰もが時の必然として本能に刻む時代を生きるしかないということだろう。

父親の軀が衰弱し、自らの闊達さを失い母親は伴侶ではなくなり保護者に近い介護者となった。いつになれば治るんだろう。と始終つぶやく母親も既に元には戻れないと悟ったようだ。息子はできることしかできないが、考えられる限りのできることの探求をあきらめずに続けようと知者猫の半笑いの口のような月を見上げて、晦日酒を呑まなかった食卓を片付けた帰り道、迷い自体が悪意なのだとつぶやいた。