11時に実家に行かねばならなかったので5時には冷えた寝室のベッドに入り9時に目覚めるとゲストは皆起きており30分後には全ての車を走らせた。途中携帯に母親から狼狽えた電話がありすぐ行くからと10分後実家の寝室をみると父親が半身をベッドから落として身動きができなくなっている。口をあけたまま四肢が動かない。朝食を摂らせようとベッドから移動させようとしたが反応もないと母親は云うので、一旦父親の細った軀を抱きあげてベッドに寝かせてからどこか痛いかと耳元で尋ねると弱く首を振ったので少し安心したが即座に救急車を呼び父親を搬送する。近所の方々も救急車の回りに集まり大丈夫ですかと声をかけてきたが搬送用ベッドの父親を見て皆が黙り込んだ。

丁度近所に住まう妹が上の姪を連れてブタペストに旅立ったばかりで、なにかとこまごまとした女支度の世話を母親は娘に頼んでいたが、いなくなった途端の変化に母親は途方に暮れた。こちらも父親の術後、ほんの一週間前の家族旅行でも首を傾げる衰弱ぶりに、なにか方法がある筈だと検索を繰り返していた。

担当医の病院への搬送が可能となり緊急センターの医師によれば、検査から脱水症状と急性栄養失調が認められ、入院を前提の栄養点滴を行うと説明され、母親はここでようやく肩の力が抜けたようだった。東欧の妹にメールすると即座に電話が返ったが、とりあえず任せろと短く切った。ひとまず入院の支度をするために実家へ戻り、業務前日の義弟に経過を話し下の姪を連れて買い物などしてから一緒に昼飯を喰い再度病院へ行き、姪はおじいちゃんと声をかけたが祖父は応えなかった。

母親を病院に置いて翌日には新潟へ戻る姪を乗せて連れ戻る途中、おじいちゃんはどこか軀の栄養をこしらえる肝のようなものも一緒になくしてしまったようだと話し、義弟にも報告してからこちらも用意をしようと飯綱に戻り、再び下る路で鈍い塊のような眠気が頭を覆い、幾度か自分の頬を叩いた。実家の火の始末と戸締まりを確認してから再び病院に戻ると父親の横に備えられた簡易ベッドで母親は熟睡していたので隣の椅子でこちらも一時間ほど眠り込んでいた。

病室のベッドに空きが無いが翌日には調整できるので今夜は家族が付き添いすることになり、連日の介護の不調疲弊を隠さない母親は病院だから安心だからと力の抜けた表情でお前は帰りなさいとつぶやいた。

冷えた夕刻の実家に再び戻ると玄関の暗闇に父親の教え子と名乗る女性が立っており毎年正月についた餅を届けにきていると袋を差し出した。頭を下げて状況を説明し名前を繰り返して忘れないようにしてから郵便物やあれこれをキチンに並べて戸締まりをして山に登る。途中やはりまた覚えのある眠気が手首あたりもまとわりつくのでカーステレオのボリュームを上げ、窓を開けて外気の雪まじりの風を額をあびせて明日の予定を考えた。