新たな環境を生きる為の最後の必須アイテムである車を購入成約する。東北の震災の影響で納車が二ヶ月近く遅れると聞いた時には、どうしようか迷ったが、いろいろと考えて決めた車体だったので、構わないと頷いていた。
父親の退院までに完成させたい実家のリフォームの見積もりと工事日程の打ち合わせを終えて、西友で、¥380の真っ赤な酢烏賊を二袋、身体の痛み止めで連夜呑み始めたブラックニッカウヰスキーと氷も同じような反復の手付きで買い物カゴに投げ入れ、カップヌードルごはんを三つ上に重ねた。生ゴミが増えるからなという不健全な理由で総菜など買う気持ちが萎えた。帰り道大池を越えたあたりから、台風で千切れたから松の枝が路面を覆っているのがヘッドライトで浮かんだ。

最後の数十ページを捲り倒すのが惜しかったので放置していたベニオフ(1970~)の「卵をめぐる祖父の戦争」をさくっと読み終え、飼うとしたら犬の名前をヴィカとすると呼ぶに難しいかなどと声に出すと、「美化」になってしまいこれはダメだと独りで笑う。気の効いた終わりを台無しにしたくないので、続けてこれも途中で伏せていたマッカーシー(1933~)の「ブラッド・メリディアン」を始めから捲りはじめ、とうとう朝4時まで黒原敏行(1957~)の巧妙な翻訳にも引きずられた。お陰でここ二ヶ月の慌ただしさに流され部屋の隅に片付けてしまいそうだった、拾った石ころのような、幾つかのエッセンスを取り戻す。

日の仕事の終わりに、初夏に幾度か観ていたyoutubeの中野剛志(1971~)の発言を辿り直す。

湯槽に浸かったまま鏡を見ることはできないことを理由に、剃らずにいた髭を鏡の前でしげしげと眺め、これは何処の爺だと白いものが混じった顎を剃ろうと思ったが、頭を刈り上げているバリカンをあてることにし、カミソリでつるっとしたゆで卵の顎にすることが間違ったことであると訝しく思われたのだった。

おそらく今後の世界は「良くなる」「悪くなる」という捉えた方では対応できない。成熟社会とは言い切れない現代はそれでも時間を背負って草臥れて行き、都度大きく壊れるだろうから、壊れる際にヒトは傷つかずに逃げる方法を事前に想像する力が必要となり、修復を行うことが日常となる。そういう意味での「連帯」は、これまでと違った意味合いとなって、生活に直結される。「修復する連帯の形」を、台風の過ぎた朝の風呂の中、残っている白い髭を撫でながら、窓の外の濡れた世界を眺めて考えるのだった。