通夜から二日泊まり込んで、人のいなくなった朝、遺された家族と朝食をいただき、取り外した襖はこちらが乾燥室に仕舞っていたから元に戻す手伝いだけして、放心が見て取れる表情で見送られ車に乗った。途中、高地の森と湿地の前でカメラを向けてから実家に戻り、風呂を浴び髭を剃った。
西宮から駆けつけた叔父は葬式当日に大阪で断れない講演があるので通夜の翌日には名古屋経由の列車に乗ったが、その夕方には次男の従兄弟がバイクで三重から高速を飛ばして来た。札幌の叔父夫婦は、25日に見舞いの飛行機を予約していたがキャンセルして、65歳以上のシルバーチケットという格安のものがあるとはじめてあると知ったと、従兄弟たちの生まれたばかりの孫の写真をみせてくれた。
戸隠村は長野市に統合されたので、祖母の斎場は裾花川上流の鬼無里の山奥だったが、今回は実家から見上げる大峰山とかわり、告別式も市内に誂えられ、村から二つの方向に向けてマイクロバスで大勢の方々を往復輸送し、こちらは車で追いかけ、告別式では受付を頼まれ香典を受け取る度に頭を下げた。坊主の長いお経の間の弔辞に思わず歯茎に力を込めるときもあった。夕刻から公会堂にしまわれていたお数珠と鐘を取りにいき、お念仏と皆が呼ぶ、近隣の方々と輪になって長い数珠を回す、地域独特の儀式のようなものにはじめてつきあって、鐘を叩く女性から、9回巡ったら終わりだから数えなさいと、こちらが指名された。お斎(おとき)で料理を食べていたので、夕食など摂らずにそのまま喪主の長男とバイク乗りの従兄弟と三人で深夜まで遺骨の前で酒を呑み、布団に横になったのは深夜2時を過ぎた。