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終戦間際か直後に自転車で、総檜造りの天皇御座所が建造された脇の地下壕に行き入った。現在公開されている象山ではなく、現在の地震観測所なのだから場所が違う。と父親が言うので、季節の贈物に川中島の桃を選んで日々お世話になっている方々に送付したのはいいけれど、自分たちがまだ口にしていないのはおかしい、川中島共選所に買いに行く折に回ってみようということになり、朝早く車を走らせた。
柔らかい熟れた桃は個人的には苦手で、固いものがいい。贈物の桃は、知り合いの生産農家に直接頼んだので、こことは違うけれどもと、勝手知る母親の説明を聞きながら共選所に並ぶグレード毎に箱詰めされたものを選ぶ。出荷のピークを迎えており、大勢の学生アルバイトが汗を流している。生産農家の方も箱を積み上げるほど買い込んでいる。これが美味しいと教えていただく。

古い街道を茶臼山動物園入口まで進み、そこから真直ぐオリンピックスタジアムの脇を通り、古戦場に突き当たってから松代に入る。magarioの豊栄から地蔵峠へ抜ける道ではなくて、一本西よりの武家屋敷が並ぶ細い道をのぼると、西条小学校にぶつかり、そこから更に南へ進む。
精密地震観測室は、舞鶴山に掘られた地下壕を利用して稼働中。なるほど鬱蒼とした秘密の隠れ家のようなロケーションを選んで掘ったようだ。当時はこのあたりの村は全て強制撤去されたと父親の指差す界隈は、家が並ぶが黄昏れている。駐車場から精密地震観測室棟まで距離があり、膝を痛めている母親をあまり歩かせてはいけないので、再度一人で来てみようと決めた。
近くに日本ではじめての民間機械製糸場だった六工社の跡地をみつける。
西条小学校の隣の中村神社の樹木があまりに見事なので、車を止めて見上げる。
この夏、magarioの御家族の導きで、竹内さんという方に、父親の持っていた砕けた村雨石を見事な硯に仕上げていただいた経緯があり、信大の木村教授のMCAF(まつしろ現代美術フェスティバル)の手伝いもあり、何かと松代に足を運ぶことを繰り返していたが、都度時間的余裕が無く、真田宝物館には入館していなかったので、家族を誘って見学する。
父方の従兄弟の名前が真田初代のものと同じだと知る。ここから命名をしたかもしれない。
古戦場近くのおぎのやにて懐かしい釜飯で昼飯にする。まるで列車で旅にきているようだと父親も母親もぺろりと平らげる。