の辺りに、見えるモノ(コト)のその少し先がある。夢のようでもあったが、瞼は開けていたようだ。
今日はこれからこの夏最後の撮影で上田へ。
学生の頃からバイクや車で国道を幾度も通り過ぎたが、新幹線の車窓から見える上田の景色が、車とバイクで通過する景色とまるで違う。国道から北と南へ逸れて入り込むめばと車をまず上田城趾へ向けた。
北国街道の街並の面影が残る通りもあるらしいと調べていたが、是非同行したいという両親が同伴したので、行動範囲は限定された。今回は場所の見当をつける程度でもよしと考え、無理をせずにと気楽に歩く。というのも、ここ一ヶ月の期限のある撮影に、多少の焦りを感じつつ闇雲に身を投じた日々が、流石に蓄積し心身に堪えてきたようで、疲労が四肢から消えない。戻って確認すると、今回は脱力したような無駄な撮影も多かった。
城跡から、小型シリコンバレーをめざして企業誘致したのだろうロケーションにある上田市マルチメディア情報センターへ回り、千曲川の西側から上田を俯瞰するように迂回して市内を回り、幾度か車を止めた。国道18号を戻り、戸倉上山田から千曲川の西側の県道へ出て、八幡の武水分神社で、ここまで母親に連れられて歩いて来たという父親の幼少の記憶を聞き、姨捨、稲荷山を回り、篠ノ井から西の山沿いを走って国道19号へ抜けた。母親はうづら餅を土産に買う。
上田に勤務していた長兄の荷を運ぶ為に、次兄とふたりでリアカーに布団を乗せて、砂利道を往復したのは小学校4,5年だったかという話も、父親からはじめて聞き、開いた口に暫く言葉が浮かばなかった。
搬送の荷造りをしながら瞼が重くなり、作業を途中で放り出してベットに倒れ、実に十数時間倒れるように眠った。夢もみなかった。母親の台所での支度の音で目覚めると、数十日ぶりの健やかな目覚めに驚き、睡眠とはこういう快復力が在るのだと、ベットで半身を起こしたまましばらく朝の音に耳を澄ませた。
車であっても写真機であっても、子供にしろ年寄りにしろ、つまり素人が気軽に高性能を手にすれば、いきなり結果(快楽)が手に入る時代であって、ことさら愛着とのめり込みの蘊蓄や、へ理屈で固めた手法や御託を並べずとも、テクノロジーは簡単に道を開く。デジタルカメラであれば何も考えず十万ショット指先を動かせば、モノを考えた風のイカサマ千枚をノックダウンさせるに充分だろう。要するに反復の力とその結果の処理の問題だ。車の中で日々が徒労に感じる疲労に悩まされつつ、やはりまた暗い扉を開けるような性癖を引き寄せていた。その愚図ついた足掻きの繰り返しを嫌悪し、放棄すればよいだけのことだと、気分の斥力を暗い扉の鍵と変えて、出力の行程とその結果の意味を秋の景色の山の稜線に向け、昨日の朝の夢の、目玉の奥の幻影の輪郭を求めるように漂わせハンドルを握っていた。
それが何であるのかということは有効な「動機」ではない、認識を凌ぐそれの出現力に加担するということは、それが女であれ、景色であれ、モノであれ、関わる側の浅ましさの恥辱を堪える図太い無神経が備わっている必要がある。
などと頗る調子良く身体を持て余すような朝、飯の心配をせずに過ごした実家での滞在が腹のあたりによけいな脂肪を蓄えたと、チャリで煙草を買いに出かけるこの不摂生不健康を嫌う覚悟が萎える怠惰な若さがちと滲む。