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泳ぎ終わってから飛び込みプールでのシンクロの練習をずっと眺めていたかったが、変態オヤジと嫌がられ、目つき自体がセクハラだと注意されるに決まっているので、一瞥してシャワーを浴びた(本当はぼうっと暫く見とれて立ち尽くしたが、コーチが睨むようにこちらを見るので、はっとしてプールサイドを退いたのだったが)。水面から逆光を浴びて立ちのぼる足というものは奇麗なもんだ。と水着を脱いで素っ裸で垂れ下がったものを見て、中学だったか、水面におっ立ててネッシーが来たーと叫んでいたなとやや凹んだ笑いを浮かべて身体を温めた。
ほぼ1時間泳ぐことに決めて、何回通ったか。あと僅かで反復が中断され泳げなくなると思うと、なんとも哀しいが、まあその時はまた考えよう。
夕方4時すぎからは、早々に仕事を仕舞った人や、外回りからチョッキでプールに来るサラリーマン風情も見かける。加えて幼子を連れた新米ママさんのスクールも開かれているので、午前か、午後の、数えるほどの人影しかいない早い時間にプールに行く事にしていた。インフルエンザの流行で、プールに感染者が来れば、それこそ即座に大量感染しそうだと、誰も怖がって泳ぎになど来ないのではと余計を心配しつつ通ったが、ここはウィルス殺菌効果があるのかしらと思う程、通い泳ぐ人々は皆平然と淡々と水を切って進んでいる。
最近の傾向だろうか、季節柄だろうか、プールといえば盛夏の屋外プールの子供達や恋人たちのハシャグ声が響いた芋洗いの中、若いビキニを胸や尻の隆起を追いかけた自身の野獣の目つきを憶い出すが、アクアウイングも、千駄ヶ谷のプールも、とても静かな共有空間であり、なにか静まり返ることがイコール泳ぐことである作法に皆が従っているような気さえする。泳がずともこの空間に横たわるだけで、社会的な安定に癒される。
泳ぐ人が数えるほどだからだろう、監視員も、それぞれがプールを出る際にありがとうございましたと頭を下げる。顔見知りになると微笑んでこんにちわと声をかける。これに誘われ通う人もいるだろう。

プール帰りに、コンパクトで撮影していた一本の欅を、1DsMIIIで撮影する横で、独りの青年がバスケットの練習をしており、花盛りを終えた藤棚の枝きりの職人が汗を流していた。バスケットボールの地面に落ちる音と、職人の鋏の音が、広い地面に反響し、こちらのシャッター音もそれに加わったような気がして嬉しくなる。此処もオープンスペースでありながら静かだ。こうした共有地が、人間的な生きる空間ですねと声をかけたくなったがそれは堪えた。

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