7年に一度行われる御開帳のためGWは酷い混雑が予想される。今のうちに幼少の頃過ごした記憶の場所へのドライブをしよう。朝から両親を誘い車で、規制が行われ始めた善光寺を迂回し裾花川沿いを裾花大橋まで走り小田切まで上り、標高線のように巡らされた高地民族の時間成熟した道をゆっくりと高さを維持して西へ走った。青年の頃、この山奥の標高の高い場所になぜこのような錯綜した道が張り巡らされているのだろうか不思議に思いながらバイクで何度かひとりで走っている。GW直前の晴天日だったが、このような高地には訪れる人はいない。遠くみえた北アルプスに徐々に近づきながら、誰も気づかなかったもうひとつの千年史の蓄積を、急斜面を丁寧に田畑を開墾し幾世代も棲み続けた仕草の現れと眺めつつ、時折垂直に伸びる下と上のレヴェルへの路へ迷い込みながら、幾度か引き返して、日本記というこれも奇妙な名称の場所に辿り着く。下へ降りれば4歳まで、忙しい共稼ぎの両親が雇った厳格なお手伝いに叱られながら過ごした村へ繋がり、逆へ行けば、鬼無里というこれも落人が突き当たった潜みの伝説が多々ある、ブナの原生林へ続く場所となる。
随分様変わりした村も、思い当たる家々があり、学校もあり、見ることによって引き起こされる記憶があると両親は車の中で饒舌に記憶を掘り返した。石段を登って通った幼稚園がお寺に併設されていたと思っていたが寺ではなく神社であり、境内の外から振り返って西を望むと、記憶に重なる光景となった。オリンピック道路が貫通し、記憶の光景をあっさり崩壊させているが、土尻川という世も末のような名前の川沿いの下の世界は、街道が川沿いに湾曲し、舗装もされていなかった不便な道の土埃のその先をいつも眺めていたような気分がよみがえり、もう一度ひとりで探索してみようと決めた。
おやきという食べ物など旨いと思ったことはないが、今は地場の名産として売り出している保養施設に立ち寄り、母親は幾つか買い、いい歳なのに知り合いにあったらどうしようなどと慌てるのが面白い。父親も河原で拾った千円札のことを憶い出し、今なら幾らになるだろうか、あの店でビールを買って随分呑んだなどと草臥れた店を指差し、まだ30そこそこの若い記憶に身を任せていた。
庭に咲く花の名前を母親に尋ねると、喉迄憶い出したけれど忘れたというので、何度かことある度に憶い出したか質問を繰り返したせいで、母親は新聞広告に出版告知されていた「信州 野山の花 / 今井建樹著 信濃毎日新聞社発行」を購入する羽目に追いつめられた。だが結局この図鑑にも掲載されていないので、あれこれ探り、ようやく鈴蘭水仙(スズランスイセン)であることがわかったが、玄関に置かれた植え込みの外来種の花の名前はまだわからない。
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鈴蘭水仙(スズランスイセン)
・彼岸花(ひがんばな)科
・学名 Leucojum aestivum
・開花時期は、 3/10頃~ 4/末頃
・地中海沿岸原産
・別名 「スノーフレーク (雪のかたまり)
・3月28日の誕生花
・花言葉は「皆をひきつける魅力」
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折角地元なんだから様子を見に行こうと善光寺に出向くと、思った以上の訪れる人間の多さに驚く。わざわざ来たのだから、並んでもお戒壇巡りはしていこうと並んだ列は本堂を巻いて繋がり、幼少の頃、暗闇の中で悪ふざけをしたこちらとしては、祈りのありがたさよりも、強い陽射しの中並ぶ人たちの体調に同情というのではない心配が浮かんだ。
深夜になり仕事を終えてベットに横になり、届いたMobile pico projectorを携帯に繋いで、天井に投影し、おもちゃのようだがこれは面白いと久しぶりにワンセグのTV番組を眺め、ピントが甘いせいもあり目の疲れもあり、本の文字も霞むので、30分程つまらない番組をぼんやり真上を向いたまま眺めてから電源を切って目を閉じ、最近は横臥ばかりでこうした仰向けの姿勢で眠ることはないなと思いそのまま寝入ったが、朝起きると涎まじりの俯せだった。
画像データばかり350GBに膨れていたのでHDデバイスが悲鳴を上げた。新規購入したHDへ移動。自宅書庫にストックしていたフィルムデータを遅々とセレクトしデータ取り込みを行う。